国立大を「授業料値上げ」に追い込んだ「真犯人」 大学はただ「ピーピー騒いでいるだけ」なのか

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かくして、『新自由主義と脱成長をもうやめる』でも指摘したように、「改革のせいで日本の研究力が落ちた」ということは、ほかならぬ文部科学省自身でさえ、すでに認めていることなのだ。

(※ちなみに、改革の主体である文科省自身がこのような調査結果を示したことについて、「どの口が言っているのだ」とお怒りの向きもあるようであるが、必ずしもそうではない。

別に肩をもつ気はないが、文科省〔文部省〕はすでに、90年代の「政治改革」による政治主導体制の確立によって、文教政策を自律的に策定する権限を失っており、今日では、CSTIなどの諮問会議→閣議決定→文科省と下りてきた改革方針を、ただ具体化するだけの、いわば政府・官邸の出先機関でしかない。しかも、文科省〔文部省〕は当初、国立大学の独法化には反対していた。2022年に文科省がこのような調査結果を公表したことは、「だから独法化なんかしたらこういうことになると言っただろう」という、文科省のせめてもの抵抗と見ることもできる。)

信じられない国立大学の「困窮」

このように、国立大学はいま、基盤的経費を10年以上にわたって毎年カットされ続けてきたうえに、国から一方的に与えられる「目標」を達成できなければ、さらに経費を削られるという強迫に怯えながら、なんとか削れる経費を削って、ぎりぎりの「効率化」に励んでいる。

しかし、それでも、どうしても「もう無理」というのが、授業料の値上げなのである。2018年の東京工業大学を皮切りに、国立大学が続々と「値上げ」に踏み切っているのは、国立大学がいよいよ「音を上げ」始めているということなのだ。

しかもそこに、2020年以降はコロナ禍に見舞われ、大学はその対策のために相当な経費を割かざるをえなくなった。2022年にはウクライナ戦争が勃発し、とりわけ光熱費の高騰が大学の財政を圧迫している。いまや、どこの大学も、光熱費の節約のために涙ぐましい努力を重ねている。廊下の電気がつかない、夜間は全館消灯、大学一斉休業日の増加、図書館の開館時間の短縮などは、もはや当たり前の光景である。

しかし、それでももう無理、というのが、授業料の値上げなのである。

授業料を値上げするということは、高等教育の公共性を確保することを使命としてきた国立大学にとって、最後の手段であり、いわば「禁じ手」である。それでも、どうしてもそうせざるをえないところまで、大学は追い込まれているのだ。

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