国立大を「授業料値上げ」に追い込んだ「真犯人」 大学はただ「ピーピー騒いでいるだけ」なのか

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第3に、しかし私も、まさかいきなり、現在の約3倍にまで引き上げよ、などという暴論が、審議会という公的な場で飛び出すとまでは思っていなかった。もはやカルトのごとき新自由主義の狂気は、むしろ私の想像をはるかに超えていたのだ。

国立大が「授業料値上げ」に追い込まれたワケ

ただでさえ、ウクライナ戦争を契機とするインフレによって、国民の生活はますます苦しくなっている。なのに、そのタイミングで授業料を値上げするなど、いったい何を考えているのか。多くの良識ある国民は、そう思っていることだろう。

しかし、肩をもつわけではないが、国立大学には、どうしてもそうせざるをえない理由がある。そうせざるをえないように、国によって意図的に追い込まれているのだ。その背景を、簡単に説明しておこう。

そもそも、国立大学は、正確にはもはや「国立大学」ではない。国立大学は、2004年に「独立行政法人」となり、現在は「国立大学法人」という法人になっている。国が直接、運営責任を負っているわけではないのだ。

独立行政法人とは、完全に民間に任せると確実に実施されない恐れがある、公共的に必要不可欠な事業――たとえば医療、交通、福祉、そして研究、教育など――を請け負う、いわば国の「代理人」のことだ。公共的に必要不可欠であるならば、国が直接運営すべきではないかと思われるかもしれないが、そうではない。国が直接運営するのは「非効率」であり、代理人に請け負わせたほうが「効率的」だという考え方が、ここにはある。

なぜ、「非効率」なのか。それは、「競争」がないからである。「効率化」するためには、「競争」させなければならない。だから、国の直接的な運営から切り離して、独立行政法人という代理人に事業を請け負わせ、代理人どうしを「競争」させることによって、「効率化」を図ろうというのである。

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