このような考え方に基づいて導入されたのが、「独立行政法人」という制度だ。
それは、具体的には、このような仕組みで運営される。
②法人は、その目標を達成するための「計画」を立て、それを「実行」する。
③主務大臣は、その結果を「評価」する。目標を十全に達成できた法人には「報酬」(予算の増額)を与え、達成できなかった法人には「罰」(予算の削減)を与える。
④法人は、より効率的に目標を達成するために、計画の「改善」を実施する。
見てのとおり、これがいわゆる「PDCAサイクル」(Plan〔目標・計画〕―Do〔実行〕―Check〔評価〕―Action〔改善〕)である。
ただし、ここには「カラクリ」がある。
PDCAのPには、本来、「目標」と「計画」との両方が含まれるはずだが、これが切り離されているのだ。「目標」は、国が一方的に設定する。法人が請け負うのは、その目標を達成するための「計画」だけなのだ。そして、目標が十全に達成できた場合には、報酬として、次年度の予算を増額される。しかし、達成できなかった場合には、それはお前たちが立てた「計画」が不十分だったからだ、つまり「自己責任」だということになり、罰として予算を減額され、計画の「改善」を要求されるのである。
研究する「時間」も「金」もない!
しかも、国立大学は、独立行政法人化以降、基盤的経費である「運営費交付金」を、「効率化係数」として、毎年1%ずつ削減されている。
運営費交付金とは、国が国立大学法人の運営のために必要と判断する、一定の額を交付するものだ。どの大学に、いくら配分するかを決めるのは、あくまでも国(主務大臣)である。
この運営費交付金が、国立大学の運営費全体に占める割合は、約5割である。それを、2005年度以降、毎年1%ずつカットされてきたのだから、それだけで、大学は相当、財政的に追い込まれている。もちろん、その1%分は、各大学が自己責任で「効率化」せよ、という意味である。
この結果、大学では、教職員の削減、非常勤教職員の増加(派遣職員や3~5年の「任期付き教員」など)、教員の研究費の削減、といった事態が進行した。いまや、大学から支給される研究費は、教員1人当たり年5万~10万、場合によってはゼロという大学も珍しくない。これではろくに研究などできるはずもないことは、いうまでもない。
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