度肝を抜かれた「小学校の怪授業」から得た教訓 なぜ人は文章を書くのか、なぜうまく書けないか

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教室 校庭
pato(ぱと)さんが文章を書くときに思い出す、忘れられないエピソードとは(写真:kuro3/PIXTA)

文章を書いていて、通りが悪かったり、支離滅裂だったり、意味不明になったりすることはないでしょうか。これはだめだな、と途中で書くのをやめてしまうこともあります。そういうとき、人は自分に文章力がないから上手く書けないと感じたりします。けれどもそうではないと、テキストサイト「Numeri」管理人・ライターのpato(ぱと)さんは言います。

3月末に上梓した『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。 読みたくなる文章の書き方29の掟』の原稿を執筆しながらpato(ぱと)さんが思い出した、奇妙な授業とは? そしてその授業を通して教師が伝えたかったことと「文章を書くこと」の驚きの関連性とは——。

迷い込んだ野良犬より、もっと重大な“なにか”

いまでも印象に残っている授業がある。

小学校高学年の時だった。少しだけ強い風が吹いてグラウンドに砂煙が舞ったのが見えた。それと同時に野良犬が入り込んできたみたいで、「犬が来たぞ!」という大声とワッと盛り上がる隣のクラスの歓声が聞こえた。

なぜか知らないけどグラウンドに野良犬が迷い込むイベントは定期的に発生していて、そのたびに異常な盛り上がりを見せていた。まるでヒーローが降臨したかのような熱狂が始まる。各クラスの歓声に気を良くしたのかどうかは分からないけど、野良犬はさらに発奮し、縦横無尽にグラウンドを駆け巡る。そしてまた皆のボルテージが高まりオーディエンスの熱狂がひとつになるのだ。

けれども、我がクラスだけは歓声ひとつ上げなかった。というか、窓際のいちばん後ろに座っていた僕を除いて、ほぼ全員がその野良犬の存在にすら気付いていないようだった。そう、いまこの教室では迷い込んだ野良犬より、もっと重大な“なにか”が起こっていたのだ。

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