度肝を抜かれた「小学校の怪授業」から得た教訓 なぜ人は文章を書くのか、なぜうまく書けないか
そうなると事態はロシアンルーレットの様相を呈してくる。普段は先生がしばらく朗読を続け、区切りがつくと、誰かが指名され続きを読むように言われるのだ。そこで「教科書を忘れました」となると鉄拳制裁となるわけだ。そしていまはほとんどの児童が教科書を持たない状態なので、指名される=死なのである。
いつ指名が飛んでくるか、だれがその餌食になるのか、明らかに教室の空気が張り詰めていた。明らかに僕らはいま大きな危機に直面している。野良犬がグラウンドに入ってきた程度で盛り上がれる他のクラスの連中があまりに平和ボケしているように思えたし、幼稚に感じた。
段落が切れるたびに緊張が走る。多くの場合、今日は10日か、じゃあ10番、と当てられる。ということは10番のヤツが桁違いに危ない。出席番号10番ってだれだっけと思ったら僕だった。明らかにいまこの教室でもっとも死に近いのが僕だった。
しかしながら、そういった予想に反して担任は朗読をやめなかった。延々と朗読を続けていて、それもまた怖かった。算数だと思ったら国語だった。終わらない朗読。なんだかいつもと違う恐ろしさみたいなものがあった。
先生が狂った?
淡々と続く恐怖の朗読を聞きながら、僕はさらに恐ろしい事実に気が付いた。ほとんどの児童が教科書を持っていなかったので疑問にも思わなかっただろうけど、たまたま僕は暇すぎて死にそうなときに娯楽として教科書を読むことがあったので、その話を何度か読んだことがあって気付いたのだ。
漢字の読み方が間違っているのだ。ところどころ変な読み方をするし、主人公の名前すら間違って呼んでいた。
最初はその話を知っている僕と、すべての教科書を学校に常設しているワンパク小僧だけが気が付いていたけど、先生の朗読は次第に文法すらおかしくなっていき、最終的には支離滅裂になっていった。さすがにそうなると多くの児童がその異様さに気付いていた。
「先生が狂ったんじゃ」
なんだか漠然とそう思った。そして怖いと思った。ここまでくるとさすがに教室がざわつき始める。そして僕は、さらに恐ろしいことに気が付いた。
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