桐壺 光をまとって生まれた皇子
輝くばかりにうつくしいその皇子の、光君という名は、
高麗の人相見がつけたということです。
元服の儀
まだあどけなさを残す幼い光君(ひかるきみ)を、成人の姿にしてしまうのは残念だと帝(みかど)は思うが、十二歳ともなれば元服(げんぷく)の儀(ぎ)を執り行わなければいけない。帝は率先してこの儀式の準備をはじめた。前年、南殿(なでん)で行われた東宮の元服の儀は立派だったと評判であるが、それに劣ることのないようにした。宮中のあちこちで供する饗膳(きょうぜん)も、内蔵寮(くらづかさ)、穀倉院(こくそういん)から公式規定通り調達したが、行き届かないところもあろうかと特別の指示を下し、最善を尽くして準備したのである。帝の住まいである清涼殿(せいりょうでん)の東の廟(びよう)に、東向きに帝の椅子、その前に元服し冠(こうぶり)をかむる君の席、冠を授ける大臣の席を置く。儀式のはじまる申(さる)の刻(午後四時頃)に源氏の君は参入した。角髪(みずら)を結ったその顔立ちの輝くばかりのうつくしさは、成人男子の姿にしてしまうのがじつに惜しいほどである。大蔵卿が理髪役を務める。みごとな髪を切る時、あまりにも痛ましく見えて、亡き桐壺(きりつぼ)がこれを見てくれていたらと思い出しては涙を流しそうになるのを、帝は気を強く持ってぐっとこらえる。
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