左大臣は、何人かの夫人とのあいだに多くの子を持っている。姫君と同じ母親腹の兄は、蔵人少将(くろうどのしょうしょう)という位に就いていて、非常に若く見目麗しい人だった。右大臣は、左大臣家とはあまり仲がよくないが、無視もできずだいじに育てた四(よん)の君(きみ)の婿として彼を迎えた。左大臣のところでは光君は丁重に扱われていたけれど、同様に、右大臣家ではこの少将がだいじにもてなされ、それぞれ申し分ない婿舅(むこしゅうと)の間柄である。
しかしながら光君は、帝がいつもそばにいるように命じて放そうとしないので、気楽に自邸の二条院に帰ることもできない。光君は胸の内では、たったひとりのすばらしい人、とひたすらに藤壺(ふじつぼ)を慕っている。このような人を妻にしたいけれど、少しでも似たところのある人などいるはずがないとも思う。左大臣家の姫君は、たいせつに育てられたいかにもうつくしい人だが、どこか性に合わないようなところがある。光君はただ藤壺のことを、幼心ひと筋に思い詰めて、胸が痛むほどだった。
かなわぬ思い
元服して成人と見なされた後は、帝は以前のように御簾(みす)の内に光君を入れるようなことはしない。だから光君は、管絃の催しがある時などに、御簾の奥の藤壺の琴の音に合わせて笛を吹いては心を添わせ、また、かすかに漏れ聞こえる藤壺の声を耳にしては自身をなぐさめている。そうなると、いよいよ宮中から離れがたくなり、ずっとここにいたいと思うようになる。五、六日宮中で暮らし、左大臣家に二日、三日と、とぎれとぎれに下がるだけである。左大臣は、光君はまだ幼いのだから咎(とが)め立てするようなことでもないと思うようにして、光君が宮中から下がってくれば文句も言わずに丁重にもてなした。光君と姫君、それぞれに仕える女房たちも、人並み以上にすぐれた者を選び抜き、また光君の気に入るような催しをして、精いっぱいのもてなしを心掛けている。
宮中では、もともと桐壺(きりつぼ)が暮らしていた部屋を光君に与え、かつて桐壺に仕えていた女房たちを散り散りにさせずに、そのまま光君に仕えさせるように帝は取りはからった。さらに、桐壺の実家である二条院には修理職(すりしき)や内匠寮(たくみづかさ)を遣わせて、ほかに類を見ないほど立派に改築させた。もともと庭の立木(たちき)や築山(つきやま)のたたずまいなど、風情(ふぜい)あるところではあったが、さらに池を広く作りなおすことにし、盛大に造営している。光君はそれを見ても、こうした場所で、理想の女性を妻に迎えていっしょに暮らしたいと、かなわぬ思いを嘆いている。
──ところで光君という名は、高麗人(こまうど)の人相見が源氏を賞賛してそう名づけた、と言い伝えられているとのこと……。
第4帖「夕顔」を読む:不憫な運命の花「夕顔」が導いた光君の新たな恋路
*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
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