スカイツリーの下、深夜0時に開く謎の食堂の正体 気がつけば営業64年、82歳店主の自由すぎる運営

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「本当は人見知りするから、こういう商売は合わないんだよね。前はしゃべんなかった。でも常連さんも多いし、しゃべるようになったね。本当は高校卒業した後は大学に行くつもりだったの。わざわざ学校の先生が来てさ、大学やらしてあげてくださいって頼みに来てくれて。でも親父はそれをはねつけてね。自分はもう年だから、後を継いでくれって。それで継いだの」

高度経済成長期の賑わい

竹之内さんが店に入った昭和34(1959)年は、“史上まれな長期繁栄”と言われた岩戸景気がやってきた時代と重なる。昭和34年から36年にかけて42カ月に及ぶ好況で、産業各界の設備投資は活発になり、輸出が伸び、個人消費も高まり、民間住宅建設が活発化していた。さらに、昭和39(1964)年のオリンピックを間近に控え、東京は活気づき、勢いにあふれていた。そんな時代だった。

キクヤ食堂の周辺には建設会社が4社あり、そこの従業員を中心に店は大賑わい。血気盛んな客が多かったという。喫煙者も多く店内は煙がいつも充満していた。

「高度成長の時はタバコはプカプカ、みんな吸ってたね。タバコは吸うし酒も飲むし気性も荒い方が多かったのか、けんかも多かったね。だからそうなったときは『表でどうぞ』ってしてたよ」

当時のメニューはオムライスや焼きそば、ラーメンなど、いわゆる食堂の定番メニューを提供していた。従業員も4名おり、多くのメニューに対応できる体制だったという。その後、竹之内さんの妻も加わり、その頃の営業は早朝から夜までだった。今もキッチンに残されている、大量のお米を一気に炊けるガス炊飯器で来る日も来る日も大量の米を炊き続けていた。

当時の売り上げで食堂を買い、土地を買い、店の上にアパートを所有する。「あの頃忙しかったから、今はそれで食っているようなもん」と竹之内さんは語る。

昔の冷蔵庫。氷を入れて冷やす仕組みだ。現在は、ボトルなどお客さんからの預かり物が保管されている(写真:著者撮影)
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