スカイツリーの下、深夜0時に開く謎の食堂の正体 気がつけば営業64年、82歳店主の自由すぎる運営

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来店するのは常連が多い。客の顔を見るなり竹之内さんが酒を用意することもあれば、客自ら冷蔵庫からボトルを取り出すこともある。慣れた実家のようなやり取りが、毎日のキクヤ食堂の風景だ。注文が落ち着くと、竹之内さんは客との会話を楽しんだり、趣味のナンプレに勤しんだりしている。

東京スカイツリーに東京ソラマチ、すみだ水族館と新しいものが次々と生まれて、墨田区の風景も、人も移り変わっていく。しかしこのキクヤ食堂の店内では、昭和の気配が色濃くとどまっているように思える。この店はいかにして今に至るのか、この独特の空気感はいかにして醸成されたのか、竹之内さんに話を伺った。

本当は店を継ぎたくなかった

キクヤ食堂がこの地で営業を始めたのは、今から70年以上も昔のこと。竹之内さんの父親の代に遡る。

竹之内さんは、太平洋戦争が開戦した昭和16(1941)年1月生まれ。父は栃木出身で、仕事を求め東京へ上京し、日本橋の辺りで勤め人をしていたという。その後、勤め人を辞めて料理の道へ。吾妻橋の近くで喫茶店をしたり、業平橋駅のガード下で食堂を営むなどしていた。

そんな父が、いつどうしてキクヤ食堂を始めたのか、明確な経緯や時期はわからないという。

「昭和19(1944)年に親父だけ残して家族で疎開して、昭和23(1948)年に帰ってきたら、親父がもうここでやっていたんだよね」

始めたのはおそらく戦後だと推測される。屋号も店舗も前任者から引き継いでそのままの形で始めたようだ。

「東京に帰って来た時はね、お店に進駐軍の方が来てたのを今も覚えてるの。うちはお酒も出してたからね、食べに来てたというよりかは、お酒を飲みに来てたんじゃないかな」

昭和、平成、令和と3つの時代にかけて続いてきたキクヤ食堂、訪れる客も、周辺の風景も、その間に大きく変わってきている。

「昔はこの辺に銭湯がたくさんあったんだよ。牛島湯とか、歌舞伎湯とか。でももう今は薬師湯だけかな。あとは何だろうな、メリヤスの会社が多かったんだよね」

昔のことはあまり覚えていないと言う。しかし、この取材のために持参した墨田区の古地図を見てもらいながら会話をしていると、時折記憶が蘇るようで、ぽつりぽつりと話してくれる。どんな質問にも親身に答えてくれる人当たりの良いご主人。しかし、意外にも本人は接客向きではない性格だと語る。

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