45歳で逝った出版社社長の「死を噛みしめた言葉」 本の制作に生きた男が残した1200の投稿

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現状維持に不安を覚えるようになったのは、手術からちょうど1年後に2度目の入退院を経た後のことだ。急激に体調が落ち込んでいく。秋には死後のことをより現実的な出来事として捉えるようになっていた。

<一年前に病気がわかったとき、絶望的な気分になると同時に、少し楽にもなった気がした。
 楽になった、とは奇妙な感覚だが、絶望的で呆然とした感情が少しずつおさまってくると同時に、そのすき間を埋めるように、僕は楽な気持ちになって行った。
 楽とは、要するにいろんな世俗のことがどうでもよくなっていく感覚だった。
(略)
 最近たまに考える。
 僕が死ぬ日の新聞には、どんなろくでもないニュースが一面を飾るのだろう。
 ヤフーニュースのトピックにはどんな一過性の話題が流れているのだろう。
 どんな有名人が、僕と同じ日に死ぬのだろう。
 できることなら、特筆すべきことがなにひとつ起こらない日に、ひとりでそっと死んでしまいたいものだ。>
(2022年10月21日/みずき書林ブログ「死ぬのに相応しい静かな世界」より)

2022年10月25日には3度目の入院となる。料理が趣味の岡田さんはオレンジジュースも口にできないほど体調が悪化していた。吐き気と倦怠感。仕事を続けようにも身体がいうことをきかない。2018年8月に毎日更新を目標に掲げて以来、20日のブランクが生じたのはこのときが初めてだった。濃くなる死の影。ひとまずは、ベッドの上でただ生きることに専念するしかなかった。

11月末、自宅に介護用ベッドを入れて、訪問医療を受ける手はずを整えて退院。やがて、医師から「長くて2カ月、短くて1カ月」と告げられた。

医師からの告知に言及した、2022年12月11日の投稿「余命」

ここに至り、冒頭で引用した「【ご報告】みずき書林の存続について」がアップされる。死後も必ず発生する出版社の業務を妻の裕子さんに委ね、計画中だった書籍企画を著者や編者と相談して中止したり、他の版元に移したりした。自らの手で生きがいに終止符を打つ作業は、並みの決意ではできなかっただろう。この時期、法的拘束力のある遺言書も作成している。

在宅療養を続けながら自ら著者になる

住み慣れた住まいが良い効果をもたらしたのかもしれない。その後に岡田さんの体調は少しずつ回復し、暖かくなるにつれて編集の仕事が再開できるほどに気力を取り戻していった。

このタイミングで、「著者として本を作りませんか?」と提案を受けた。持ちかけたのは2019年8月に1人出版社・コトニ社を立ち上げた後藤亨真さんだ。かつて岡田さんが1人出版社の先達としてアドバイスを送った相手でもある。岡田さんは即座に快諾したという。

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