45歳で逝った出版社社長の「死を噛みしめた言葉」 本の制作に生きた男が残した1200の投稿

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後藤さんは「ひとり出版社の閉じ方」という書名で、岡田さんの編集者人生を描くエッセイを提案したが、岡田さんが煮詰めて返信したのはブログをまとめた本の企画書だった。この時点ですでに1100件を超える記事があったため、すべてを書籍にすることはできない。100件ほどを抜粋し、そこに解説文として補足や現在の所感を添えるスタイルで編むというものだ。タイトルは『憶えている』。後藤さんはこの方向で全面サポートすることを決めた。

コトニ社から刊行された『憶えている』

書籍は時系列で振り返る構成が基本となるが、がんを公表した2021年9月9日の記事だけは、「はじめに」として巻頭に置いた。後に刊行された書籍を開くと、その解説文にはこうある。

<この本にはたくさんの日付が出てくる。そのころあなたは何をしていただろうか。たとえば2021年の9月9日に、あなたは何をしていたか、思い出せるだろうか。
 そしてあなたがこの本を読むときに、僕はどこで何をしているのだろうか。
 あるいはもうどこにもいないのかもしれない。>
(『憶えている』/12Pより)

限られた時間を意識する緊張感

体調が回復したとはいえ、試していた治療はすべて終わり、在宅医療でできる限りの延命を図っている状態だった。あとどれだけ生きられるかわからない。2023年2月から4月にかけて執筆したと思われる解説文からは、限られた時間を意識する緊張感が通底しているように感じる。

1人出版社を始めて高揚する当時の岡田さんと、それを眺めて解説文を書く岡田さん。この二重奏を読み進めると、元気な頃からたびたび死に思いを巡らせていたとわかるが、同時に時期による捉え方の違いにも気づかされる。

先に引用した2020年3月17日の投稿――『マーシャル、父の戦場』の主人公である佐藤冨五郎さんについての記事の解説文にはこうある。

<マーシャル諸島ウォッチェ環礁で餓死した39歳の日本兵・佐藤冨五郎さんは、いつごろから自分の死を意識したのだろうか。途中までは、何とかして生き残って故郷に戻りたいと強く思っていたに違いない。その気持ちが体調の変化とともに徐々に揺らいでいき、やはり自分はここで死ぬしかないのかと感じるようになったのはいつ頃からなのだろう。
 最晩年の日記を読むと、その心の変化が少しずつわかるような気がしてくる。栄養失調で身体が思うように動かす、周囲の迷惑になることを心配しつつ、何とか生きていきたいと願う、そんな日々が綴られていく。>
(『憶えている』/222-223Pより)
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