45歳で逝った出版社社長の「死を噛みしめた言葉」 本の制作に生きた男が残した1200の投稿

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かつては遠くにあった死が、いまは近くに迫っている。それゆえに、先人が残した死の諸相の見方が変わってきたのかもしれない。しかしそれでいて、岡田さんの筆致に動揺の色はない。

解説文の岡田さんは、死への抵抗や恐怖心、あるいは無念の情のようなものをほとんどにじませない。従容として死を受け入れる静かな姿勢が貫かれているように感じた。それは強烈に死を覚悟した2022年末を経験したゆえの達観なのかもしれないし、書籍として残す前提の文章だからなのかもしれない。

「できれば僕も一緒に歩んでいきたかった。」

抜粋記事と解説文のタイムラグは次第に小さくなり、最終盤は完全に時間軸が一致する。解説文が載る最後の抜粋は2023年4月13日のもので、みずき書林の創立5周年に感謝を述べる内容だった。

<誰がなんと言おうが、それは僕にとっては大冒険の日々だった。毎日ワクワクして楽しくて、ときにドキドキと心配で、心臓が跳ね回るような日々だった。
 そしてそれは、病気を経たいまでも続いている。こんな日々が少しでも長く続きますよう。僕もまた、みずき書林の続く出版を心から願っている。>
(『憶えている』/493Pより)

ひとまず本編を書き上げた達成感もあってか、翌月には自著の予定タイトルをブログで公開している。この記事は書籍に抜粋されていないが、通算で1200件目を飾るものだった。

<書名はいまのところ、
 『憶えている――40代でがんになったひとり出版社の1825日』
 にしようかと思っています。
 あくまで仮題ですが、いまのところ。
 メインタイトルの『憶えている』には、僕自身がこの5年間のことを憶えている、という意味があるのはもちろんですが、読者が僕がいなくなった後も僕のことを憶えていてほしい、という願いも込められています。>
(2023年5月12日/みずき書林ブログ「1200件目、書いている本のこと」より)

この半月後には4回目の入院をすることになる。執筆作業で最後に残していた「おわりに」は病院のベッドで書き上げた。複数のチューブがつながる身体をベッドに横たわらせて執筆している現状に触れ、関わった人たちへの感謝を伝える。そして、妻の裕子さんに向けた言葉で締めている。

<ねえ裕子さん、僕なしの残りの人生を、あなたはどんなふうに過ごすのでしょう。
 どうかよい人生を歩んでください。できれば僕も一緒に歩んでいきたかった。
 でもそれは叶いそうもありません。
 だからせめてことばだけでも残しておくね。
 愛してるよ、裕子さん。
 2023年6月13日 国立がん研究センター中央病院18階個室にて
 岡田林太郎>
(『憶えている』/525Pより)

 

この文は書籍の裏表紙にも添えられた
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