書籍の時間軸はここまでだが、この2日後に退院したことはみずき書林のブログの更新で知れる。岡田さんは6月25日まで自身で投稿を続けた。
まだ長い文章を書く余力がありません。
ただ自宅に戻り、療養しています。
どうか見守ってください。
ふたたび仕事をしたり、みなと会ったりする力を取り戻せますように。>
岡田さんはこの約1週間後、2023年7月3日の深夜に自宅で息を引き取った。翌日に裕子さんが訃報をアップし、それが現在までブログの最終投稿となっている。
1825日と1908日
『憶えている』が刊行されたのは、2023年11月14日。岡田さんの死後に足された情報は、最終ページの著者プロフィールの最後に添えられた「2023年7月3日、永眠。享年45歳。」の一文のみだ。
ただし、副題を含めた書名は岡田さんの没後に日数が修正されて、『憶えている――40代でがんになったひとり出版社の1908日』となっている。
1825日は、岡田さんがみずき書林で活動した5年間を365×5で単純に日数換算した数字だ。これに対して1908日は、みずき書林を法人登記した2018年4月13日から、岡田さんが亡くなった2023年7月3日までの日数を表している。
この修正は岡田さんの没後に裕子さんと後藤さんが話し合って決めたそうだ。存命中の刊行を目指していた岡田さんは、創立5周年のところで書籍を終わらせる腹づもりだったという。それ以降の抜粋記事に解説文がないものこの理由からだ。
しかし、岡田さんが亡くなった今となっては、「僕自身がこの5年間のことを憶えている」「僕がいなくなった後も僕のことを憶えていてほしい」という願いを込めた書名として、1825日よりも1908日のほうが確かにふさわしい。
岡田さんは2023年6月11日、書籍に抜粋された最後のブログ記事でこう書いている。
肉体的な苦痛もさることながら、やはり精神的なメンタル面をやられると、人は脆い。
自分の弱さを容赦なく突きつけられています。
フランクルを、保苅実を、早坂暁を、大林宣彦を心のうちに召喚しながら、まだまだ僕は彼らのしなやかさには遠く及ばない。
せめて彼らの万分の一の強さでもあったなら。>
岡田さんは、がんを公表した記事で「勇敢に、丁寧に生きていたい」と書いた。最終的にそこに至らなかったのか否か。岡田さんを憶えている人や、これから知る人がそれぞれに感じればいい。
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