記憶喪失と夫の突然死を背負った絵描きの短い命 膨大な遺品整理、死と隣り合わせだった暮らしとは

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娘の誕生日までにという当初の目標は叶わなかったが、年が明けた後も前向きに夫の遺品と向き合った。そんな折りに再び病院のお世話になる。

<先日倒れまして、今、病院に入院しています。病院て眠れないですね。辛い。早く帰りたい…>
(2020年1月11日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

このときは数日で退院できたが、自分の身にいつ死が降りかかってきてもおかしくないと自覚して生きている。自宅には緊急ボタンを置いており、娘にも救急車の呼び方をレクチャーしている。証書や通帳もわかりやすくまとめてあり、重要なパスワードや連絡先などの書類を入れた緊急用の鞄も用意している。自分が死んでしまったときに遺影に使えるよう、そして思い出になるよう、時々子供に自分の写真を撮ってもらっている。

<あしなが育英会なんてものがあるなんて知らなかった。私はてんかんを患ってて、なるべく死なないようにしてるんだけど、それでも自分が死んだら子供どうしようかなーと思いながら暮らしてるんだけど、いざとなったらあしなが育英会を頼る事も選択肢の一つに入れなさいと教えとこう。まあ先の話だけど。>
(2020年4月18日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

そのうえで睡眠と栄養をしっかりとって健康に生きていこう。それでも日々のストレスから長らく不眠症に悩んでいたが、正高さんの死と向き合うことで改善した。新しいアカウントで2021年7月から8月にかけて連投したマンガ「#てんかんふみん」で、そうした心境の変化を伝えている。

こさささこ
「#てんかんふみん」の最後のページ(こささんのXより)

最初に倒れたときのことを思い出す日も増えてきた。昔自分が書いたブログを読み返して、喪失していた記憶と向き合うようになったのもこの頃だ。コレクションの山は3年半が過ぎても未踏エリアが残っているけれど、この頃のこささんのつぶやきを追うと、少しずつ穏やかな心境に向かっていっているように思える。

遺品整理の担い手は親族へ

こささんの最後の投稿は、44歳の誕生日を迎えて数日しか経っていない2021年12月15日の朝のものだった。

<昨夕、急に息子が「僕も鉛筆削れるようになりたい」というので、鉛筆の削り方を教えることに。
「カッターは動かさず鉛筆を動かすんだ」「えっと、えっと」「違う!その親指は下!そっちは上!」「えっと」「そうだ!できるじゃないか!」「僕、一日で削れるようになった〜」よかったよかった。>
(2021年12月15日/こさささこ@kosasasakoesu/X(Twitter)より)

この数時間後にこささんは自宅で亡くなる。

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