娘の誕生日までにという当初の目標は叶わなかったが、年が明けた後も前向きに夫の遺品と向き合った。そんな折りに再び病院のお世話になる。
このときは数日で退院できたが、自分の身にいつ死が降りかかってきてもおかしくないと自覚して生きている。自宅には緊急ボタンを置いており、娘にも救急車の呼び方をレクチャーしている。証書や通帳もわかりやすくまとめてあり、重要なパスワードや連絡先などの書類を入れた緊急用の鞄も用意している。自分が死んでしまったときに遺影に使えるよう、そして思い出になるよう、時々子供に自分の写真を撮ってもらっている。
そのうえで睡眠と栄養をしっかりとって健康に生きていこう。それでも日々のストレスから長らく不眠症に悩んでいたが、正高さんの死と向き合うことで改善した。新しいアカウントで2021年7月から8月にかけて連投したマンガ「#てんかんふみん」で、そうした心境の変化を伝えている。
最初に倒れたときのことを思い出す日も増えてきた。昔自分が書いたブログを読み返して、喪失していた記憶と向き合うようになったのもこの頃だ。コレクションの山は3年半が過ぎても未踏エリアが残っているけれど、この頃のこささんのつぶやきを追うと、少しずつ穏やかな心境に向かっていっているように思える。
遺品整理の担い手は親族へ
こささんの最後の投稿は、44歳の誕生日を迎えて数日しか経っていない2021年12月15日の朝のものだった。
この数時間後にこささんは自宅で亡くなる。
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