予兆の有無にかかわらず、人生の幕が急に下りることもある。本人の歩みはそこで終わり、残された人たちは遺されたものを抱えて生きていく。そこにどんな困難があるのか。こささんが残した足跡を辿りたい。
多忙で倒れて記憶喪失に
美術大学を卒業し、東京でイラストレーターをしていたこささんが山形県に居を移したのは2009年3月のことだった。交際していた正高さんが同県にある東北芸術工科大学で教授に就任したため、この機に結婚する。広い一戸建ての住まいで暮らし、やがて2011年に娘が生まれた。こささんは家事と子育てに奔走しながらイラストの仕事も請け負う日々を送るようになる。
久しぶりに書籍のイラストの仕事を依頼されたのは、2014年に長男が誕生した直後のこと。普段にも増して無理をして徹夜を続けていたら、40度を超える熱が出てきた。病院で解熱剤を処方されたが体調は良くならない。
この投稿を最後に長く本人からの発信は途絶える。この間、意識を失い、病院で全身の血を2回入れ替えるほどの大手術を受けていた。正高さんのつぶやきから当時の様子がうかがえる。
意識が戻ったのは1カ月後だった。
退院するまでにはさらに数カ月を要し、自宅に戻った後も長期の療養を余儀なくされた。後遺症から3年間ほどの記憶が抜け落ち、脳はてんかん発作を起こすようになった。クルマの運転ができなくなるばかりか、急に倒れたり入院したりする事態を想定して生活することを余儀なくされることになる。
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