「母の不幸は私のせい」親を背負い続けた末路 「いい子」「いい母」をやめると見えてくるもの

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たとえば愛着が不安定な母親は、自身もまた愛着が不安定な母親(祖母)に育てられたのかもしれません。視野を広げることで、このように「自分が苦しんでいるのはお母さんのせいだ」という断罪の意識を、「お母さんにはお母さんの事情があったのかもしれない」という理解へと少しずつ変容させる。別の視点から母親を捉え直すというのは、こういうことです。

さて、その後、母親との関係がどうなっていくかは、母親しだいで2つに分かれます。

子どもが悩み抜いた末に自ら問題を克服しようとしているのですから、それを、そもそもの原因である母親がまったく知らないふりというのはおかしな話です。

そういう考えから、私は、愛着障害を抱えている相談者の親にも、セラピーに参加するよう働きかけています。ただし、残念なことに、このアプローチ(愛着アプローチと呼ばれます)を使いこなせる人が少ないのが現状です。

幸いにして、こちらの働きかけに母親が応え、自らの問題を自覚し、カウンセリングや(場合によっては)投薬治療などに取り組み、変わろうとする。こうして母と子が協力して問題を克服していくというのが1つです。

他方、こちらの働きかけにいっさい応じようとしない母親もいます。そういう場合は深追いしません。相談者にも、いっそのこと母親との関係を断つようアドバイスします。「いつか応えてくれるかもしれない」と期待しても、十中八九、その期待は裏切られ、さらに相談者が傷つくだけだからです。簡単なことではありませんが、母を断ち切ることで、今までのとらわれから解き放たれ、人生に新たな活路が見出されていく。

「完璧な母親」なんていない

ニュースなどで母子問題が取り沙汰されるごとに、ちまたでは母親批判がヒートアップします。そういうことがあるたび、「自分の子育ては大丈夫だろうか?」と不安になる母親も多いことでしょう。

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