58歳で特命部長の彼が失意の中で回顧した青春 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(5)

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「だったら、ミラクルホークスのがんばりも見に行きましょうよ」

希さんの提案に、宮瀬と板垣の目に輝きが戻る。

「明日、土曜でしょ。さっそく練習を見に行こうよ」

「宮瀬、さすがに急じゃないか」

「いいじゃねえか。善は急げ。いや、後先短い老人は、全部急げだ」

板垣が右の口角だけを上げる。

「上手いだろ? じゃないわ。ただ、『老いるほど何事も早めにやるべし』という主張には、同意する」

「おっ、調子が上がってきたな。ブルー」

「ブルーって言うな。かっとして、血圧が上がってしまう」

板垣は「血圧でも高みを目指すとは、いい心がけよのう」とご機嫌に杖を鳴らし、宮瀬と浴場へ行ってしまった。

一人になった私は、希さんに向き直り、頭を下げる。

「色々振り回してしまってすみません」

「そんな。急に謝らないでくださいよ」希さんがブンブンと右手を振る。

「なんか引間さんって、みんなにツッコミまくってる時と、一人の時の印象が変わりますよね」

一瞬、言葉に詰まる。団の仲間といると、売り言葉に買い言葉で、別人のように熱くなってしまう。

「小心者のブルー。こっちが本当の私です」

「いいじゃないですか。わたし、ブルー、好きですよ」

希さんは声を弾ませた。

「私にまで、気を遣わなくていいですよ」

「違いますって。水、空、それに熱い炎まで表現できる。そんな色、他にはないですから」

彼女の必死のフォローに対して、「気持ちもですね」と言いかけて、やめた。

椅子から立ち上がる。

明日か――。正直、少年野球の練習を見たぐらいで、あの頃の熱い気持ちに戻るのは難しいだろう。

「心のピントが鈍ってるのよ」

家に帰ると、妻の和代が「あら、早かったじゃない。お昼は食べる? 昨日の残り物の煮物の余り物だけど」と訊いてきた。

「物々しい料理が出てきそうだな」私は苦笑する。「ありがたくいただくよ。一晩寝かせた煮物は、味が染みてて好きなんだ」

おかげで、死ぬのが楽しみになった
『おかげで、死ぬのが楽しみになった』(サンマーク出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

食器をテーブルに運び、椅子に座った。リビングの壁にかけたカレンダーに目を向ける。遠目でも、予定欄が真っ白なのはわかった。定年退職して以来、余白が主役みたいな毎日だ。

テレビで昼の情報番組が始まった。画面にたくさんの顔が並んでいる。今をときめくアイドルや芸人なのだろう。

「最近の若者は、皆、同じ顔に見えるな」

「それ、精神的老眼じゃない?」と和代が笑う。「心のピントが鈍ってるのよ。若い子だってよく見たら、全員違う顔してるのに」

「ああ」

同意とも反対ともつかない相槌がこぼれる。和代は近頃、娘たちより一回りも若いアイドルグループにぞっこんだ。

「最近の若者は、なんて言ったら、最近の老人は、って括り返されちゃうわよ」

「ああ」

今度は完全なる同意だった。

画面がニュースに切り替わった。アナウンサーが溌剌とした表情で速報を読み上げる。肘の手術から2年ぶりに復帰した日本人投手が、海の向こうで勝ち星を挙げたらしい。「勝ち星」という響きに、こめかみの奥で記憶が立ち上がる。

市役所を定年退職した数日後、巣立と最後に会った時のことだ。

(7月19日配信の次回に続く)

遠未 真幸 小説家

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とおみ まさき / Masaki Tomi

1982年、埼玉県生まれ。失われた世代であり、はざま世代であり、プレッシャー世代でもある。ミュージシャン、プロの応援団員、舞台やイベントの構成作家を経て、様々な創作に携わる中で、物語の持つ力に惹かれていく。『小説新潮』に寄稿するなど経験を積み、本作を6年半かけて書き上げ、小説家デビュー。「AかBかではなく、AもあればBもある」がモットーのバランス派。いつもの道を散歩するのが好きで、ダジャレと韻をこよなく愛す。

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