ちなみにこの日記を書いたのは、33歳のとき。漱石がまだ小説家でもなければ、東大の先生でもなく、漢詩や俳句好きのインテリ田舎教師だったころのことだ。
二月十五日[金] うちの下宿の飯は頗るまずい。この間までは日本人が沢山おったので少しはうまかったが、近頃は段々下等になって来た。尤も一週25shill.では贅沢もいえまい。それに家計が頗る不如意らしい。可愛想に。
二月十六日[土] Mrs.Edghillよりteaのinvitationあり。行かねばならぬ。厭だなー。
(中略)
二月十八日[月] 往来を歩くとどれも小悪(こにく)らしい顔ばかりだ。愛嬌のある顔をしているものは一人もおらぬ。その代り小供で鼻を垂らしている者は一人もいない。一昨日Brixtonで買物をしたら善い結構な御天気ですなといった。これが結構ではたまらない。辱(かたじけな)くも日本晴を拝ましてやりたい。
(中略)
二月二十日[水] CraigにGeorge Meredithの事について聞たら少しも知らない。色々言訳をした。英語の書物を悉く読まねばならぬ訳はない。恥るに及ばぬ事だ。故郷の妻に文をつかわす。晩に虚子より『ホトトギス』四巻三号を送り来る。うれし。夜『ホトトギス』を読む。
(『漱石日記』)
これは留学して数カ月後の日記である。国費留学といえども、そんなに豪勢な留学生活を送ることは難しかったらしい。漱石が「うちの下宿の飯はすこぶるまずい」という愚痴をこぼしており、「しかし安いから仕方ない」とため息をついている様子がよくわかる。
慣れないイギリスでの生活、お茶の誘いすら憂鬱な毎日、そしてなによりイギリスの雨や雪や曇りの多い天気に、漱石はどんどん憂鬱になっていったらしい。
外にも出歩かず、文学ばかり読むようになった
個人的には『ホトトギス』を送ってもらった夜に漱石が「うれし」と書き、その晩さっそく読んでいるところがよいなと思う。というのも漱石は日本にいたころ、高浜虚子や正岡子規らとともに、俳句の創作活動にいそしんでいたのである。『ホトトギス』は、漱石や子規のいた愛媛で創刊された俳句雑誌であり、途中から東京にいる虚子が責任編集となった。
「そりゃ、慣れないイギリスでの生活を送っているときに、仲間の同人誌が送られてきたら『うれし』だよな、漱石」とうなずいてしまう人も多いのではないだろうか。
だがそんな日々を送るうち、漱石はやがて外にも出歩かず、ロンドンの下宿で文学ばかり読むようになっていった。そのときの様子が、『漱石日記』にはこんなふうにつづられている。
下宿の神さんがそんなに勉強して日本へ帰ったらさぞ金持になるだろうといった。好笑。
(『漱石日記』)
「好笑」は今でいう「ウケる」くらいの意味であろうか。金持ちになるためではなく、ただただ文学を学ぶためにやってきた漱石のロンドン留学生活。しかし彼は数カ月後には、ロンドン大学の講義にも出なくなってしまい、本格的に引きこもりになってしまうのだ! 国費留学してきたとも思えないロンドン生活がスタートする。
はたして彼のロンドン生活はいかなるものだったのか。彼は、ちゃんと満足な留学生活は送れたのか。そしてその後の小説執筆に、どのような影響を及ぼしたのか。次回も引き続き漱石の明治時代赤裸々ロンドン留学体験記についてお伝えしたい。
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みやけ かほ / Kaho Miyake
1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。2016年「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」がハイパーバズを起こし、2016年の年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位となる。その卓越した選書センスと書評によって、本好きのSNSの間で大反響を呼んだ。『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。4月『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)を発売予定。
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