ちなみにこの日記を書いたのは、33歳のとき。漱石がまだ小説家でもなければ、東大の先生でもなく、漢詩や俳句好きのインテリ田舎教師だったころのことだ。
これは留学して数カ月後の日記である。国費留学といえども、そんなに豪勢な留学生活を送ることは難しかったらしい。漱石が「うちの下宿の飯はすこぶるまずい」という愚痴をこぼしており、「しかし安いから仕方ない」とため息をついている様子がよくわかる。
慣れないイギリスでの生活、お茶の誘いすら憂鬱な毎日、そしてなによりイギリスの雨や雪や曇りの多い天気に、漱石はどんどん憂鬱になっていったらしい。
外にも出歩かず、文学ばかり読むようになった
個人的には『ホトトギス』を送ってもらった夜に漱石が「うれし」と書き、その晩さっそく読んでいるところがよいなと思う。というのも漱石は日本にいたころ、高浜虚子や正岡子規らとともに、俳句の創作活動にいそしんでいたのである。『ホトトギス』は、漱石や子規のいた愛媛で創刊された俳句雑誌であり、途中から東京にいる虚子が責任編集となった。
「そりゃ、慣れないイギリスでの生活を送っているときに、仲間の同人誌が送られてきたら『うれし』だよな、漱石」とうなずいてしまう人も多いのではないだろうか。
だがそんな日々を送るうち、漱石はやがて外にも出歩かず、ロンドンの下宿で文学ばかり読むようになっていった。そのときの様子が、『漱石日記』にはこんなふうにつづられている。
「好笑」は今でいう「ウケる」くらいの意味であろうか。金持ちになるためではなく、ただただ文学を学ぶためにやってきた漱石のロンドン留学生活。しかし彼は数カ月後には、ロンドン大学の講義にも出なくなってしまい、本格的に引きこもりになってしまうのだ! 国費留学してきたとも思えないロンドン生活がスタートする。
はたして彼のロンドン生活はいかなるものだったのか。彼は、ちゃんと満足な留学生活は送れたのか。そしてその後の小説執筆に、どのような影響を及ぼしたのか。次回も引き続き漱石の明治時代赤裸々ロンドン留学体験記についてお伝えしたい。
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