残念!それでも世界は「村上春樹」が大好きだ ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞!
毎年この季節になると必ず日本のメディアから問い合わせがあり、「村上春樹氏がノーベル賞を受賞したら、当日取材させてほしい」と頼まれてきました。「今年はどういう結果になるのか」――発表日当日は、毎年少なからず「非日常的」な思いで朝を迎えるのが恒例になっていましたが、今年でその習慣が最後になることはありませんでした。
ノーベル賞発表を待つのは、村上作品を愛する人にとって、いわば「儀式」と言えます。私にはそれがいつまで続くのかは分かりませんが、彼がこの「儀式」にふさわしい世界を代表する作家であることは、疑いようのない事実と言えるでしょう。
「異国趣味」とは一切無縁な無国籍作品
村上さんの作風というのは日本以外の人たちにとっても、ある意味「自然」であると言えます。平安時代ものを描く芥川、芸者と茶会を描いた川端、自己犠牲的な現代のサムライを描く三島を歓迎した異国趣味とは一切無縁――それが、日本の村上春樹が、「世界」の村上春樹であることの所以なのでしょう。読者にとっては村上さんの国籍はほとんど関係なく、文学の重要な発言者として彼の作品を受けいれられるのだと思います。
村上さんの作品への態度には、一貫して「一旦作品を世の中へ送り出してしまえば、その作品はもう自分のものでなく、読者のものになる」という、寛大な姿勢があります。時折象徴的に出てくる、一見何を指すのか分からないような言葉の選択に、あえて筆者の意図を説明しないのは、非常に特徴的だと思います。彼はいわば読み手に物語を「完成させる」のです。こうした個人の読者を信用する立場もまた、彼が世界で愛される理由だと思います。
世界中の人々が経験する心的現象――言わば普遍的現象――を把握して、それを国境とも人種とも宗教とも関係のない、シンプルで、鮮やかなイメージで表現する。説明をあえて必要としない言葉のイメージが、直接に村上さんの頭脳から一人一人の読者の頭脳へ伝わる。
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