少しばかり邪推すれば、制作側も「安定感」を求めたのではないか。その結果として「歴史実在物×牧野富太郎×神木隆之介」という方程式が導き出されたのかもしれない――。
それでいいじゃないか、大船に乗ったつもりで見ようじゃないか、と思いつつ、でもやっぱり、ちょっとは攻めてほしいと思うのも朝ドラファンとしての正直な気持ち。というわけで今回は、最近の朝ドラ事情も踏まえつつ、少しばかり意見してみたいと思う。
『舞いあがれ!』や『ちむどんどん』に欠けていたもの
ここ2作の朝ドラへの不満をひとことで言えば――「現実感」の欠如。
『舞いあがれ!』には大いに期待をした。というのは半年前、『「舞いあがれ!」に東大阪出身者が"普通"を望む訳』に書いたように、私自身が、舞台=東大阪市の出身だからだ。
というわけで、「浪速大学/なにわバードマン」のあたりまでは、かなり盛り上がって見ていたのだが、後半でテンションが落ちてしまった。せっかく東大阪を舞台としながら、東大阪の空気がまったく再現されていないことを、東大阪人として残念に思ったのだ。
具体的に言えば、後半に入ってからほとんどロケがなく、ほぼすべてがスタジオの中で完結していたことを指摘している。IWAKURAの工場、自宅、古本屋「デラシネ」、カフェ「ノーサイド」、セットで作られた公園……。言わば、書き割り・張りぼての東大阪像に対して、「『普通の東大阪』をしっかりと描いてほしい」と書いた私は、乗りきれなくなってしまったのである。
その前の『ちむどんどん』についても、『朝ドラ「ちむどんどん」の出足が暗黒だった理由』でこう書いた期待が、満たされることはなかった。
対して、この3~4月にWOWOWで放送された『フェンス』は、沖縄における米軍基地問題、米兵による性的暴行事件、日米地位協定に切り込む意欲作だった。『ちむどんどん』に足りなかったリアリティをフォローしているように、私には見えた。
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