そういえば、現在NHK BSプレミアムで再放送が始まった『あまちゃん』が相変わらず面白い。放送から10年も経ったにもかかわらず、画面から弾け飛んでくる躍動感に魅了されてしまう。そして「朝ドラが10年間、この躍動感を取り戻せなかった」という事実を確認して残念に思うのだ。
まとめると『舞いあがれ!』『ちむどんどん』に欠如していたリアリティ、つまり「現実感」と、『あまちゃん』が持っている「躍動感」を、前述の「安定感」に上乗せしてほしい。それが『らんまん』への期待であり、強い要望なのである。
牧野富太郎の天衣無縫な生き方
ではここから、いち朝ドラファンとしての『らんまん』への希望を具体的に分解して述べてみる。
まずは「現実感」。言い換えると「現代に響く現実感」として、牧野富太郎をリアリティ持って表現してほしい。この人物の天衣無縫な生き方には、窮屈な現代に響くあれこれが詰まっているからだ。
青山誠『牧野富太郎 ~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)にある、このくだりなどは、ChatGPTに右往左往する現代に深く響く。『らんまん』では第2週で描かれた、主人公の小学校中退の背景にあった理由について。
「なぜそうなるのか、本当にそうなのか?」
と自分なりの正解を見つけようとする。
また、(朝ドラでは表現しにくいだろうが)牧野富太郎がストリップ嬢に囲まれる写真が週刊誌に掲載されて悪評を得たりとか、また妻の寿恵子が商才のある人で、植物の研究に湯水のごとく金をつかう夫を支えるべく、東京の神泉に「待合」(今でいうラブホテル)を経営して支えたりなど、同書にあるディテールも、めちゃくちゃ面白い。
サービス精神あり、ユーモアあり、経済観念なし、上昇志向なし、そして忖度一切なし――こんな牧野富太郎の「現実感」が詳細に再現されれば、作品として深みと奥行き、そして現代へのブリッジが形作られるのではないか。
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