脚本家が交代したというニュースが昨年聞こえてきた。開始早々、新型コロナウイルスの感染拡大で、画面は物々しい情報で囲まれている。さらには、大御所作曲家を演じることになっていた志村けんの突然の死去、と、まさに「波乱の幕開け」となったNHK朝ドラ『エール』。
それでも平均世帯視聴率は初回21.2%で始まり、4月22日の放送は20.3%と大台をキープしている。及第点と言えるだろう(数字は関東地区、ビデオリサーチ調べ)。
今回は、その『エール』について、音楽評論家/音楽好きの視点から期待することを述べてみたい。それは一言で言えば「ライブ朝ドラ」としての大きな可能性だ。
古関裕而はどんな作曲家だったのか
まず、音楽好きとして注目したいのが、古関裕而という作曲家の人生である。
日本の作曲家の二枚看板と言えば、古賀政男と服部良一ということになる。それぞれ「古賀メロディ」「服部メロディ」という名の下に、広く作風が知られている。
対して「古関メロディ」の輪郭はハッキリとしない。その理由として古関裕而が、作風や領域を限定しない、何でもありの言わば「バラエティ型」作曲家だったことがある。
まず守備範囲が、軍歌、行進曲、応援歌、校歌、歌謡曲、映画音楽、番組テーマ曲、クラシック……と非常に幅広い。かつ歌詞のテーマで見ても、「♪勝って来るぞと勇ましく」の『露営の歌』(昭和12年=S12)もあれば、平和の喜びを歌い上げる『長崎の鐘』(S24)もある。
『大阪タイガースの歌(六甲颪)』(S11)に対しては、ライバル球団の『巨人軍の歌(闘魂こめて)』(S38)があり、さらには「♪覇者 覇者 早稲田」と歌う『紺碧の空』(S6)と「♪おお打てよ砕け 早稲田を倒せ」と歌う慶応大学の応援歌『我ぞ覇者』(S21)が併存するのだから、もう何でもありだ。
まず興味深いのは、そのような「バラエティ型」作曲家のありようが、ドラマの中でどう描かれるかであるが、中でもとりわけ興味深いのが、軍歌/戦時歌謡についてのスタンスである。
刑部芳則『古関裕而―流行作曲家と激動の昭和』(中公新書)によれば「戦前の流行歌の売り上げ枚数では第一位」となった大ヒット曲=「♪勝って来るぞと勇ましく」の『露営の歌』は、一般には「軍歌」「軍国歌謡」として認識されている。
しかし辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書)によれば「古関は自伝でみずからの作品を軍歌ではないと主張してい」たらしく、その理由として「戦後、軍歌にたいする風当たりが強くなった」から「戦時歌謡」と呼んだのではないかと推測している。
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