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アンミカさん「人生七転び十五起き」の驚きの人生 「リアルポジティブ女王」はこうして誕生した

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  • 芳麗 コラムニスト
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表面的なポジティブではない。リアルな人間味を感じさせる、圧倒的なポジティブマインドを持つ人。その稀有なエネルギーは、どこから生まれているのだろう。

複雑な環境で育った子供時代

1972年3月25日。韓国人の両親の元に、5人きょうだいの真ん中として生まれた。父も母も敬虔なキリスト教信者。教会の手伝いをするために家族をともなって来日。大阪の鶴橋に住まうことに。

バラエティ番組などでも自ら語っているように、幼少期は人並みはずれた貧乏生活を送っていた。他人の家の2階を間借り、四畳半に家族7人で暮らしていた。果物は市場で捨てられたものを食べ、スイカの皮で体を洗う……etc. 伝説級の貧乏エピソードには事欠かない。

「お金は全然なかったけど、ひもじい思いをしたことはなかったです。両親は明るく愛に溢れていて、クリエイティブ。腐りかけの果物も、工夫して美味しいおやつを作ってくれるような親たちでしたから。小学校に通い始めると、我が家は他の家とは全く違うと気づきましたけど。我が家はカトリックだから、“清貧”は素晴らしいという考え。“持たざる者は美しい。他人に与えよ”を実践していることは、むしろ、誇りでもありました」

とはいえ、幼少期の環境が至極、困難だったことには違いない。アンミカは家計を支えるために、小中高と新聞配達を続けていた。

さらに複雑だったのは、在日韓国人であるという出自。昭和50年代の日本は、今よりも社会のムードは閉鎖的で、在日外国人に対して多くの日本人が偏見を抱いていた。

「小学生の時は韓国人学校ではなく、地元の学校に通っていて。同級生から『両親に韓国人とは遊ぶなと言われた』などと遠ざけられた経験もありました。

しかも、私たちが住んでいたのは大阪でも“境目の地域”。富裕層の方々が住む地区と貧困層が住まう地域が隣り合っている場所でした」

人種や地域の問題など、子供の頃から理不尽な差別を目の当たりにするだけでなく、自らもその洗礼を浴びて育った。

アンミカの人格のベースは、そんな幼少期からの複雑な環境と波瀾万丈の経験で形成されたと話す。

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【もともと、幼少時の性格は根暗だった】

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