
アンミカさんの大胆な転身人生とは?(写真:アンミカさんのInstagramより)
4畳半に家族7人の極貧生活、容姿も性格もコンプレックスの塊だった幼少期から、モデルとしてデビュー。長らくの売れない時代を経て、常に自己を啓発、行動し続けることで、パリコレモデルとして成功をおさめたアンミカさん。
アンミカ流のポジティブ人生哲学を確立するまでのストーリーを追った前編。この後編では、さらなる波乱を経験しながらもミドルエイジから大きく花開いた人生を追う。その思考と行動からは、人生100年時代を生き抜くためのヒントが読み取れるはずだ。
人生最大のピンチは、時代の変わり目に訪れた
20代半ば。アンミカは2度目の渡仏でパリコレモデルとしてデビュー。コネなし実績なしでパリコレに挑み、門前払いされた前回とは景色がまったく異なっていた。
一流モデルの仲間入りを果たして、大阪ではタレントとしての活動も順調だった。アンミカの人生は、上昇気流に乗り始めたようにみえた。
しかし、再び試練は訪れる。
29歳の時、最愛の母に続き、精神的な支えであった父親を小さな医療ミスで失ったのだ。
その時、アンミカは大きな心の支えと同時に、自分のルーツを失ったような気持ちになったという。韓国人であるものの、物心ついた頃から、日本に暮らしてきた彼女は、韓国語の読み書きが苦手で、その歴史や文化を深く学ぶ機会も持たずにきた。
両親との別れを経て、祖国である韓国についてもっと知りたい。韓国語を学び、コミュニケーションをとれるようになりたいと願った彼女は、韓国に留学することに。
30代以降も表に立つことを生業とするならば、さらに自分を掘り下げることが必要だとも感じていた。
2001年、日韓ワールドカップの開催直前に韓国へ。当時は、数本のCMと、大阪では何本ものテレビレギュラー番組を抱えていたが、それらを一旦お休みして、延世大学に留学することにしたのだ。
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