「全ては出会いから始まりました。バラエティ番組は、放送作家の山田美保子さんにお声がけいただいたり。タレントのピーターさんの誕生日会で同じテーブルになった、マツコ(・デラックス)さんやミッツ(・マングローブ)さんが、『大阪弁のほうがあなたらしい』と当時標準語で出演していた私にアドバイスをくださったおかげです」
どれもが東京にいなければ、訪れなかった出会いだ。
「そう思うと、キャリアが停滞している時、居場所を変えてみるのは一案ですよね。動けば環境も出会いも変わるし、心の風通しもよくなる」
東京では、これまでの経験や栄光を全てリセット、またイチから自分を構築し直そうと思えたことも大きかったという。
「それまでは、モデルだから喋り過ぎはよくないと遠慮していた部分もありましたが、マツコさんのアドバイス通り、関西弁を解禁しておしゃべりしたら、さらに多くの仕事がいただけるようになったのです」
解禁したのは、関西弁だけではない。これまでの濃厚な人生経験や、ありのままの自分を解放して発言するようにもなった。すると、ますます仕事が増えて、唯一無二の個性を持ったタレントとして広く愛されるようになった。
稀有な人生経験をもち、人並みならぬ努力を重ね、己の魅力と糧に変えて、中年期を迎えた。そんなアンミカが自分を全解放して、全力でみんなを楽しませようとしているのだ。人生後半戦は、ますます強いに決まっている。
年齢にとらわれる時代はすでに終わっている
50歳を迎えた昨年、アンミカはさまざまな挑戦に身を費やした。その1つが初めてのミュージカル『シンデレラストーリー』への出演だ。物語のカギを握る魔法使い役として、華と毒気を漂わせ、圧倒的な存在感を見せていた。
「実は、43歳の時には歌手デビューもさせていただいております。時代に沿った新しい企画や、面白そうなお話には、積極的に挑戦したいと思っているんです。
この年齢になったら、そろそろ……みたいな守りの姿勢は一切ないです。年齢や性別などのあらゆる枠組みは、どんどん無くなっていく時代。自分の新しい可能性を追求し続けたいし、表に立つ人間として、50代でも60代でも、“こんな風にも生きられるんだ”とワクワク生きる姿を見ていただけたら嬉しいですね」
テレビの中のアンミカは、“白は200色ある”けれど、“黒は300色ある”のだと語っていた。
ミドルエイジ以降も自己探索は、まだまだ終わらぬ課題であり、人生のお楽しみなのだ。
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