「韓国では、時代が変わっていくのを目の当たりにしました。今でこそ韓流ブームですが、当時の日本ではまだ、韓国の文化は今に比べると全くと言っていいほど知られておらず。その逆も然り。
ワールドカップを機にその歴史が変わっていく……。韓国の文化を学べたおかげで、亡き両親のこともより深く理解することができました」
数々の貴重な経験を持って、日本に帰国。「日韓の絆を育てる架け橋となる活動がしたい」と願ったが、そのもくろみは外れた。
「帰国してみると、韓国にまつわる仕事はまだそんなに多くありませんでした。韓国ブームが訪れたのは、私が帰国してから、もっとずっと後のこと。留学前、大阪ではレギュラーもたくさんいただいていたし、多少のブランクは平気だろうとも思っていたのですが……。これも甘い考えでした」
30歳。すでに、人生の難所を何度も乗り越えてきたが、最大のピンチは、この時期だったと述懐する。
「帰国後は1年間、ほとんど仕事がありませんでした。一度、知名度を得ていたこともあり、バイトをするわけにもいかず、誰にも頼れない。プライドだってもちろんありましたしね」
仕事やお金がない以上に辛かったのは、帰国すると、世間のムードや社会の価値観がすっかり変わっていたことだ。
今も続く国内の一大ファッションイベント『東京ガールズコレクション』の先駆けである『神戸コレクション』が始まり、若い世代に人気のコスパのよい国内アパレルブランドが参加。それらを着こなすのは、赤文字系やギャル系雑誌のモデルたちだった。
高身長で圧倒的なスタイルと美貌をもつスーパーモデルブームは終焉を迎え、高くない身長でも可愛くて、真似しやすいセンスやライフスタイルを持った、隣にいる友だちのような、雑誌モデルが時代のセンターにいた。
舞い込んだ仕事は、モデルとしての出演ではなく…
まるで浦島太郎になったかのような戸惑いの最中、神戸コレクションの仕事が舞い込んだ。
「でも、モデルとしての出演ではなく、出演する若手モデルの方々に楽屋インタビューをしてください……という依頼でした。正直、傷つきました。これまでの私の努力やキャリアはなんだったんだろうと」
落胆するのも当然だ。自力でパリコレ出演を叶えて、トップを極めた後のことである。
しかし、中年以降の世代ならば、アンミカと似た経験をした人も少なくないはずだ。時代の変わり目には、社会の価値観も大きく転換してゆく。その最中には、これまでの自分のキャリアや思考が、通用しなくなる瞬間が訪れる。
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