「人に喜んでいただけることこそが、この仕事の極意だと思っています。
30代までは、仕事は“なりたい自分に近づくため”。成長欲こそがエネルギーでしたけど、年齢を重ねて変わりましたね。今は、“求められる場所で、自分の役割をどれだけ果たせるか”。
そう考えると、失敗や挫折も宝物だなと改めて感じます。長く芸能界で仕事をする上では絶対に必要なものですし、成功より失敗のほうが誰かのお役に立てる(笑)」
その言葉に説得力があるのは、全ての苦難や失敗を糧にしたからこそだ。
タレントとしての存在感や個性の強さは、辛酸をなめた時代が長く、試行錯誤を重ねた末に備わったもの。圧倒的なトーク力は、関西のコリアンタウン、鶴橋育ちであることにも起因するが、他のモデルとは差をつけようと、ありとあらゆる知識や経験を身につけたからこそである。
ミドルエイジクライシスを打破するための大勝負
30代半ば。大阪では社会問題から人生相談まで語れるタレントとして、実力が認められ、確固たるポジションを築いていた。
はたから見れば、順調で安定していたものの、当人は一抹の停滞感も感じていた。中年世代に差し掛かり、一人の女性として結婚への焦りもあり、これからどこへ向かうのか、どう人生を発展させていくのかが見えなかったのだ。
さらに、恋愛もうまくいっていなかった。
「お付き合いした人たちには、一生懸命過ぎて重いって言われてました(笑)。結婚や出産願望も高まっていた時期ですし、空回りしていました」
テレビでよく語られている逸話――2年間、付き合った恋人が実は、国際的なスパイだったのも、この頃のこと。
いわば、ミドルエイジクライシス(中年の危機)か。ここでアンミカが興じた打開策が、東京進出だ。
「きっかけは単純なのですが、風水です(笑)。信頼する風水に詳しい知人から『20年に一度の飛躍のチャンス。東京に行ってみたら?』と勧められて。大阪ではレギュラー番組もあったし、お気に入りの家に引っ越したばかりで、迷ったんですけど……。“やらない後悔よりやった経験の方が人生を輝かせる”と、ある方にも言っていただいて。さまざまな方に肩を押していただき、停滞を感じる場所にいるよりワクワクするほうへ進みたいと思い、不安もありましたが行くことに決めました」
38歳、この勝負が40代からのアンミカ快進撃の下地となる。
現在も所属する事務所と出会い、タレントとして新たなスタートを切るとゴールデンタイムのバラエティ番組や通販番組など、これまでにない仕事が次々に舞い込んだ。
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