「もともと、幼少時の性格は根暗やったと思います。負けん気も執着心も強かったです。原因は色々。きょうだいが多かったことも大きいのかな。両親は素晴らしい人たちで、きょうだい仲もよかったけど……。5人きょうだいだから、どうしても、両親の愛情を奪い合ってしまう。しかも、私は、注目を浴びづらい中間子。不安だったんでしょうね」
さらに、強烈な容姿コンプレックスも。幼い頃は、きょうだいの中で1人だけ小柄で太っていた上に、6歳の時、階段から転げ落ちるという事故にあい、口の中を切る大怪我をした。その後遺症として、口内は真っ黒に。表情を変えると、唇がめくれ上がるようになった。
「私が笑うと周囲の人が嫌な顔をするのが分かって、笑えない子供になってしまいました。
正直、それから数年間、小学校半ばまでの記憶がほとんどありません」
そんな心の穴からか、小学校では他の子供たちと歩調を合わせられなかったという。
「ませていたし、気も強かったから、周囲の子を意のままに支配しようとしたことも……。今思うと可愛くない子でしたね。クラスでも疎まれた時期もありました」
多くの人は思春期になってから味わうような周囲との軋轢や自己との葛藤を、アンミカは幼少期にひととおり経験した。
「中学生になる頃には、うまく歩調を合わせられる子供になっていました。気の強さや自己顕示欲は内に秘めて、人をよく観察していましたね。“韓国人だから……”と何かと言われるのが悔しくて、勉強をものすごく頑張るようにもなって。しかも勉強は好きになっていったので、成績はいつも良かったですね」
生来の賢さか、出だしから苦難が多かったからか、アンミカの成熟は、ずいぶんと早かったのだ。
15歳で訪れた最愛の母親との別れ
モデルを志して事務所に入ったのは、15歳の時。
「手足が長くてすらっとしているからモデル向きね」という母親の言葉がきっかけだ。容姿にコンプレックスがあったからこそ、その言葉は彼女にとって一縷の光になった。
「母は子供たちの資質を見抜いて、やる気にさせるのがとても上手な人でした。15歳の時に事務所の門を叩いたのは、母親の余命がわずかだったから、生きている間に報告がしたかった」
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