陽介がここに来なくなったのは、京子の母、絹代が亡くなった直後からである。
絹代は半年間の闘病生活の末、最後は流の淹れたコーヒーで口元を湿らせると、眠るように息を引き取った。
小学生でまだコーヒーの飲めない陽介は、入院している絹代に流の淹れたコーヒーを届けるためだけに、この喫茶店に顔を出していた。その絹代が亡くなったのだから、陽介はここに来る理由がなくなってしまったのである。
入院して半年が経った夏の終わりには、「覚悟している」と言っていた京子ではあったが、やはり、母親を亡くしてまだ一か月である。寂しそうな表情は隠しきれなかった。
流は、陽介が来なくなった理由と、絹代が亡くなったことが直結していることに気付かず、軽率に話題を振ってしまったことを後悔したのだろう、
「……すみません」
と、小さく頭を下げた。
そのとき、
あれ ニワトリも鳴き出した
コケコケ コケコケ コーコケキョ
と、奥の部屋からミキの元気な歌声が聞こえてきた。
「ぷっ」
ミキの替え歌に、京子は思わず吹き出した。自分のせいでしんみりさせてしまっていた空気が一気に変わり、(救われた)と思ったのかもしれない。京子は、あははと大きな声で笑うと、
「ニワトリとウグイスが交じっちゃってるけど?」
と、流の顔を覗き込んだ。流も同じことを思ったのだろう、
「おかしな歌、歌ってんじゃねーよ……」
と言って、大きなため息をつきながら奥の部屋へと姿を消した。
「かわいいなぁ、ミキちゃん」
京子は、奥の部屋に向かって独り言のようにつぶやいた。
「幸雄さんはどうしていますか……?」
「ごちそうさま」
場の空気が変わったところで、清が伝票を持って立ち上がり、レジ前に立った。小銭入れからコーヒーの代金を出してコイントレイに置き、ていねいに頭を下げると、
「今日は貴重なアドバイス、助かりました」
と言って、そのまま店を後にした。
カランコロン。
店内には、京子と数だけが残った。
数は、コーヒー代を取り上げると、ガチャガチャとレジを打ちながら、
「幸雄さんはどうしていますか……?」
とささやいた。
幸雄とは、陶芸家になるために今は京都に住んでいる京子の弟のことである。京子は、数の口から幸雄の名前が出てくるとは予想もしていなかったのだろう、一瞬、ぎょっと目を見開いて、数の目を見た。しかし数は、いつものように涼しい顔で京子の空になったグラスに水を注ぎ足している。
(何でもお見通しだ)
京子は、観念したように小さくため息をついた。
(1月4日配信の次回に続く)
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