母を亡くした娘がなじみの喫茶店でハッとした事 小説「この嘘がばれないうちに」第2話全公開(1)

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

陽介がここに来なくなったのは、京子の母、絹代が亡くなった直後からである。

絹代は半年間の闘病生活の末、最後は流の淹れたコーヒーで口元を湿らせると、眠るように息を引き取った。

小学生でまだコーヒーの飲めない陽介は、入院している絹代に流の淹れたコーヒーを届けるためだけに、この喫茶店に顔を出していた。その絹代が亡くなったのだから、陽介はここに来る理由がなくなってしまったのである。

入院して半年が経った夏の終わりには、「覚悟している」と言っていた京子ではあったが、やはり、母親を亡くしてまだ一か月である。寂しそうな表情は隠しきれなかった。

流は、陽介が来なくなった理由と、絹代が亡くなったことが直結していることに気付かず、軽率に話題を振ってしまったことを後悔したのだろう、

「……すみません」

と、小さく頭を下げた。

そのとき、

あれ ニワトリも鳴き出した

コケコケ コケコケ コーコケキョ

と、奥の部屋からミキの元気な歌声が聞こえてきた。

「ぷっ」

ミキの替え歌に、京子は思わず吹き出した。自分のせいでしんみりさせてしまっていた空気が一気に変わり、(救われた)と思ったのかもしれない。京子は、あははと大きな声で笑うと、

「ニワトリとウグイスが交じっちゃってるけど?」

と、流の顔を覗き込んだ。流も同じことを思ったのだろう、

「おかしな歌、歌ってんじゃねーよ……」

と言って、大きなため息をつきながら奥の部屋へと姿を消した。

「かわいいなぁ、ミキちゃん」

京子は、奥の部屋に向かって独り言のようにつぶやいた。

「幸雄さんはどうしていますか……?」

「ごちそうさま」

場の空気が変わったところで、清が伝票を持って立ち上がり、レジ前に立った。小銭入れからコーヒーの代金を出してコイントレイに置き、ていねいに頭を下げると、

「今日は貴重なアドバイス、助かりました」

と言って、そのまま店を後にした。

カランコロン。

この嘘がばれないうちに
『この嘘がばれないうちに』(サンマーク出版)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

店内には、京子と数だけが残った。

数は、コーヒー代を取り上げると、ガチャガチャとレジを打ちながら、

「幸雄さんはどうしていますか……?」

とささやいた。

幸雄とは、陶芸家になるために今は京都に住んでいる京子の弟のことである。京子は、数の口から幸雄の名前が出てくるとは予想もしていなかったのだろう、一瞬、ぎょっと目を見開いて、数の目を見た。しかし数は、いつものように涼しい顔で京子の空になったグラスに水を注ぎ足している。

(何でもお見通しだ)

京子は、観念したように小さくため息をついた。

(1月4日配信の次回に続く)

川口 俊和 小説家、脚本家、演出家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

かわぐち としかず / Toshikazu Kawaguchi

大阪府茨木市出身。1971年生まれ。舞台『コーヒーが冷めないうちに』第10回杉並演劇祭大賞受賞。同作小説は、本屋大賞2017にノミネートされ、2018年に映画化。川口プロヂュース代表として、舞台、YouTubeで活躍中。47都道府県で舞台『コーヒーが冷めないうちに』を上演するのが目下の夢。趣味は筋トレと旅行、温泉。モットーは「自分らしく生きる」。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事