「こいつに彼氏がいたぐらいで、そんなに嬉しいもんですかね?」
流は、おかわりのコーヒーを注ぎながら京子に尋ねた。すると京子は、ニコリとほほえんで、
「うちの母がね、いつも言ってたのよ、数ちゃんには早く結婚して幸せになってほしいって……」
と、答えた。
母とは、一か月前に闘病生活の末に他界した、京子の母の絹代のことである。
絹代は、数が幼い頃から通っていた絵画教室の先生だった。流の淹れるコーヒーが好きで、近所の総合病院に入院するまでは、暇さえあれば、ここに顔を出していた常連客でもあった。そのため、数にとっても、流にとっても思い入れの強い人物だった。
「そうですか……」
流が、目を細めて、しんみりとつぶやいた。数は何も言わなかったが、グラスを磨く手が止まっている。
場の空気が何となく重くなったのを感じ取ったのだろう、京子は、
「あら、やだ、ごめんなさい。別に母に心残りがあったって言いたいわけじゃないのよ?
勘違いしないでね?」
と、あわてて言葉を付け足した。だが、数も京子がそんなつもりで言ったわけではないことをちゃんとわかっていて、
「いえ、ありがとうございます」
と、普段あまり見せない優しい笑顔で答えた。
京子は、こんな状況ではあったが、絹代の思いを数に伝えることができて満足したのだろう、小さな声で、「うん」と嬉しそうにうなずいた。
「あの……」
そう言って、京子達の会話の輪の中に入ってきたのは清であった。それまで静かにコーヒーを飲んでいた清だったが、会話が途切れるのを待っていたに違いない。その 証拠に、
「ちょっと、お聞きしたいのですが……」
と、言っている表情はひどく申し訳なさそうである。
「何を贈ればいいのかわからなくて……」
誰に何を聞こうとしたのかはわからなかったが、京子はすぐさま「はい?」と返事をし、流も「何でしょう?」と反応していた。数は返事をしなかったが、視線だけは清に向けている。
清はヨレヨレのハンチング帽を脱ぎ、ほぼ白髪の頭部をかきながら、
「実は、妻の誕生日に何を贈ろうかと悩んでおりまして……」
と、少し恥ずかしそうにつぶやいた。
「奥さんに、ですか?」
流の問いかけに清は「ええ」とうつむいたまま答えた。清は、数が彼氏の母親のプレゼントを選んだという話を聞いて、自分も参考にしようと思ったのだろう。
京子は「ひゅーひゅー」と冷やかしたが、数はいたって真面目に、
「去年は何をプレゼントされたんですか?」
と問いかけた。清は、再び白髪頭をかきながら、
「お恥ずかしい話なのですが、誕生日にプレゼントなんて贈ったことがないんです。だから、何を贈ればいいのかわからなくて……」
「え? これまで何も贈ったことないの? それなのになんで、また、急に?」
京子が目を見開いて尋ねると、清は、
「いや、ま、特に理由はないんですが……」
と答えて、飲み終えていたはずのコーヒーカップに手をのばした。京子には清が照れているのが手に取るようにわかったのだろう、思わず(かわいい)と、つぶやきそうになるのを必死にこらえていた。
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