現代病「集中できない」の無視できない悪影響 1分間に4000語と早口な「頭の中のひとり言」

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多くの精神的伝統が内なる声を怖れるとともに、その価値を強調してきたという事実は、内なる対話へのいまなお続く相反する態度を物語っている。

「内なる声」について語るとき、人びとは当然にも、その病的側面について思いをめぐらす。

私はよくプレゼンテーションの冒頭で、聴衆に向かって、頭の中で自分自身に話しかけるかどうかをたずねてみる。すると、多くの人は判で押したように、ほかの人も自分と同じように手を上げるのを見てホッとした表情を浮かべるものだ。

あいにく、私たちが頭の中で耳にする正常な声(たとえば、自分自身、家族、同僚のそれ)は、ときとして、心の病に典型的な異常な声へと転落することがある。

こうした場合、当の人物はその声が自分自身の心から発せられているとは思わず、別の存在(よくある幻聴の例を挙げれば、敵対する人びと、よそ者、政府など)から出たものだと考える。

重要なのは、私たちが内なる声について語るとき、心の病と健康の違いは、二項対立――病的対健康的――の問題ではなく、文化や程度の問題だということだ。

人間の脳が持つ1つの奇癖は、およそ10人に1人が、声が聞こえるとそれを外部要因に帰するところにある。

なぜこうしたことが起こるかについては、依然として解明の努力が続いている。

誰もが「内なる声」を発している

要するに、私たちはみな、頭の中に何らかの形の声を持っている。言葉の流れは私たちの内面生活から切り離せないので、音声障害に陥ったときでさえ途絶えることはない。

たとえば吃音のある人は、声に出して話すときより、心の中でのほうがより流暢に話せるという報告がある。手話を使う聾者は、独自の内的言語を持っているにもかかわらず、やはり自分に話しかける。そこには自分自身を相手にした暗黙の手話が伴っている。耳の聞こえる人が言葉を使って内心で自分に話しかけるのと似たようなものだ。

内なる声は精神の基本的特徴なのである。

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