電話番号を覚えるために頭の中で繰り返したり、何を言うべきだったかを想像しながら会話を振り返ったり、ある問題やスキルをめぐって自らに言葉で指示を出したりしたことがあるとすれば、あなたは内なる声を使ったことがある。
ほとんどの人は毎日、内なる声を頼り、そこから恩恵を得ている。彼らが現在とのつながりを断つとき、それは往々にしてその声と会話するためか、その声が言わなければならないことを聞くためだ――そして、その声には言うべきことがたくさんあるかもしれない。
思考における言語の流れは非常にせわしないため、ある研究によれば、私たちの内面における独り言のスピードは、声を出して1分間に4000語を発するのに匹敵するという。
こうした事態を客観的に見るため、現代のアメリカ大統領の一般教書演説は通常、約6000語で構成され、1時間にわたって続くことを考えてみよう。私たちの脳は、それに近い数の言葉をたった60秒間に詰め込む。
これが意味するのは、私たちが日々、たいていの人がそうであるように16時間目覚めており、内なる声がその時間の約半分のあいだ活動しているとすれば、理屈のうえでは約320回分の一般教書演説を毎日聞けるということだ。頭の中の声は実に早口なのである。
「内なる声」が「チャッター」に変わるとき
内なる声はたいていうまく機能するものの、私たちがそれを最も必要とするときに限って――つまり、ストレスがたまる、リスクが高まる、冷静さを損なうような厄介な感情にさらされるなどといったときに――しばしばチャッターへと変わってしまう。
ときに、こうしたチャッターはとりとめのない独り言の形をとる。ときに、チャッターは私たち自身との対話である。ときに、チャッターは過去の出来事の強迫的な蒸し返しである(反芻)。ときに、チャッターは未来の出来事の不安な想像である(心配)。ときに、チャッターは否定的な感情と観念の自由連想的なピンボールである。ときに、チャッターはある特定の不愉快な感情や見解への病的執着である。
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