
「新型コロナワクチンには、感染を防ぐ効果はあまりない」──とは、コロナ分科会長を務めた尾身茂氏の、2025年6月のテレビ番組での発言だ。呼吸器ウイルスのワクチンに感染予防効果が期待できないことは医学系の専門家の間では知られていたが、非専門家がワクチンの多様な効果を正確に理解することは容易ではない。コロナ禍では、発症や重症化を防ぐ効果しか期待できない新しいワクチンについて当初、「接種を望む人はあまりいないのではないか」という悲観論が政府関係者や専門家に広がっていた。
新型コロナワクチンの接種は法的には「努力義務」とされ、接種を受けるかどうかは本人の意思に委ねられた。したがって、接種勧奨施策においても本人の自律性を最大限尊重する必要があった。その中で注目されたのが、「ナッジ(nudge)」という行動経済学の概念だ。選択の自由を奪わず、本人と社会の両方にとって望ましい方向へ“そっと後押し”する。この手法をワクチン接種に応用する研究が、世界各国で行われた。
最も影響力が大きかったのは、20年秋ごろの実験を基にした『米国科学アカデミー紀要』の論文だ。病院の外来患者に「あなたのためにワクチンを確保しています」という簡単なメッセージをSMSで送ることが、季節性インフルエンザワクチンの接種率向上に効果的だと明らかにした。米国で同年12月に始まる新型コロナワクチンの接種を見据えた“先行演習”で、有効性が確認された表現を現場で用いることが意図されていた。
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