教科書で習う那須与一「扇の的」何とも意外な事実 舞台である「屋島の戦い」に戦らしい戦はなかった
四国に向けて出陣した源義経
元暦2年(1185)2月16日夜、源義経は、四国に向けて出陣する。院の使者・高階泰経は「京中に武士がいなくなるので、出陣しないでほしい」と義経を京に呼び戻そうとするも、義経はそれを承諾せず、発向したという(『玉葉』)。
『平家物語』には、大変な強風に船出を渋る船頭や舵取りを「風が強いからといってそれがどうしたというのか。今は向かい風にあらず。順風であるのに、風が強いからと一大事に船出せぬとはけしからん。船を出さないなら、奴らを1人ひとり射殺せ」と義経は怒り強迫し、強引に船を出させた逸話が載る。
16日の夜半、船5艘・50騎という小勢で、摂津渡辺より阿波へ向かう。義経は平家が拠る屋島を正面から攻撃するのではなく、背後から突くため、阿波に回り込んだと考えられる。



















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