源頼朝が征夷大将軍に実は大して関心なかった訳 役職が偉いのではなく、偉い人が重役になる出世
摂関政治も院政も天皇の補佐役ではない
まず、摂関政治とはなにか。天皇が女性や子どもである場合に立つのが摂政。天皇が成人男性である場合に立つのが関白。だから摂政と関白が両方置かれるということはありえません。秀吉は関白になりましたが、通常は藤原氏が関白として政治を行った。
この摂政、関白について「天皇の補佐役」という言い方がよくされるのですが、厳密にいうとこれは間違いです。摂政と関白は、天皇の代わりに判断をする人なのです。
「補佐役」というと、天皇の周辺に左大臣や内大臣などのブレーンのグループがあり、関白はそのトップ、というイメージになります。しかしそうではない。天皇に代わって、天皇の役割を果たす。関白となった藤原氏は実質的にトップであり、政治的には天皇として扱われるのです。
この摂関政治に続いて現れたものが「院政」でした。藤原氏の場合は、娘を天皇に嫁がせて、天皇の義父、あるいは母方の祖父として関白となり、実権を握った。それが父方になるだけで、今度は「院政」になるのです。母方が権力を握ると摂関政治。父方であれば院政。これは非常にわかりやすいでしょう。上皇の院政もまた、補佐役ではなく、上皇が天皇の代理として、政治をやるものでした。
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