源頼朝が征夷大将軍に実は大して関心なかった訳 役職が偉いのではなく、偉い人が重役になる出世

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さらに頼朝が、おそらく脳卒中だったのではないかと思われるのですが、急死する。その後に息子の頼家が後を継ぎますが、誰がそれを決めたのか、認めたのか、というと、鎌倉幕府です。もっとも「鎌倉幕府」というと、そこにきちんとしたシステムがあるように感じられますが、実際は何もない。「源頼朝とその仲間たち」という集団だととらえるのが、いちばんしっくりくる。頼朝が亡くなって、残された「仲間たち」が、次のリーダーとして頼家を担ぐことにしたのです。

この時点で、頼家は2代将軍としてふさわしい存在になった。つまり朝廷から征夷大将軍に任命されて初めてトップになるのかというと、そんなことはない。頼家が征夷大将軍になったのは、頼朝が亡くなって3年後ですが、それまでも幕府のリーダーを務め、トップとして振る舞っているのです。

将軍というポストに意味はなかった。室町幕府の6代将軍である足利義教が、その辺りの実情を露骨に示しています。この人は4人の候補者の中からくじ引きで選ばれた将軍でした。ただ、当選してすぐ、朝廷が彼を征夷大将軍に任命したわけではなかった。そこには、いかにも朝廷らしい手続き上の問題があったのです。

将軍の血縁の男子で将軍にならない人は、将来、政治に頭を突っ込むことがないように、お坊さんになって人生を送ることが大体普通でした。だから将軍候補の4人もみな、僧侶でした。義教も元お坊さんだったので、頭を剃っていた。それで、ここがばかばかしいところですが、朝廷が言うには、官職につくためにはまず元服しなければならない。元服するには元服の儀式を行う必要があるが、儀式では烏帽子を頭に載せることになる。しかし頭を剃っていては、載せることができない。そのことを朝廷は問題視するわけです。「頭の毛が伸びるまで元服の儀を行うことができない」と朝廷は言う。

坊主頭で将軍になって何が悪い

しかし足利義教は、どうやら短気ですぐにイラッと来る人でした。「髪が伸びるまで儀式はできない」という朝廷に「すぐに政治に取り組みたい。征夷大将軍にしてくれないと、始められない」と申し入れるのですが、朝廷はあくまで、まずきちんと手順をふんで征夷大将軍になることにこだわる。そのときに朝廷側は義教に、「もしここに覇王が現れたらどうするか」と言い出しました。

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