日本史の「もしも」を考えることで見えてくる本質 ありえなかった過去の想像が未来につながる
「もしも」を考えることの意味
戦後、皇国史観への反省から、唯物史観が支配的になりました。皇国史観は、天皇を中心とした歴史観で、そこには神話を含めた物語が堂々と存在していた。そうした皇国史観を否定して出てきた唯物史観は「科学としての歴史」。お化けとかお告げとか、怪力乱神は相手にせず、物語性を排除する。だから「歴史にもしもはない」というのがそのスタンスです。「もしも」の選択肢を選んだ架空の歴史は、もはや歴史ではない。「物語」であると。
しかし、そうやって物語性を切って捨ててしまってよいのだろうか、と私は近年、強く思うようになりました。
かつて日航機のハイジャック事件の際、当時の福田赳夫総理大臣が「人命は地球よりも重い」といって、超法規的措置として、連合赤軍メンバーらを釈放してしまったことがありました。地球よりも重いかどうかはともかく、人命というものはかくも尊重しなくてはならないもの。命が尽きてしまうと、その人にとってすべてが終わってしまうのですから。
そう考えると例えば、「もしも太平洋戦争において、すでに逆転の目はなくなっていた昭和19年の段階で、当時の帝国陸軍、帝国海軍、議会、政治家の人たちが心を1つにして敗北を受け入れて降伏していれば、死なないで済む命があったのではないか」と考えることに意味はあるはずです。戦争が続いたせいで亡くなった人たちにとってみれば、まだまだ先の人生があったはずなのですから。
昭和20年になって原爆が落とされ、ようやく重い腰が上がって無条件降伏を受け入れることになりました。しかしそこまで粘ることなく、もし沖縄戦がなかったら? あの土地でたくさんの人が死ぬこともなかった。そして原爆による尊い犠牲がないという歴史も当然ありえた。
実際に起こった出来事がもしなかったら? あるいは実際になかったことが、起こっていたら? 知性的な話ができる人であれば、大きな時代の動きの中で、1つの事件がなくとも、けっきょくは同じような流れになった、最終的には同じような歴史をたどるのではないか、と話し合えるわけです。
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