日本史の「もしも」を考えることで見えてくる本質 ありえなかった過去の想像が未来につながる
時代が下ると、例えば加藤清正(1562─1611)は豪傑だと言われますが、あの時代になればもはや彼が豪傑である必要はないのです。清正が片鎌槍を操って、敵を何十人、何百人と倒したところで、個人的な武勇は戦局に深甚な関係はない。それよりも、後方できちんと作戦を立て、状況を正確に把握し、兵站(へいたん)に配慮して兵隊たちの食糧を確保する。そうしたことのほうが、よほど戦局に与える影響が大きくなります。
新しい時代になって、システムが確立されてくると、個人がどうあれ、歴史はそれほど大きく変わらない。例えば現代の軍隊であれば、1人の司令官が戦死しても、次に引き継がれる。大将が退いても、中将が出て、中将の次は少将が出るように、システムが定められています。こうした状況では、個人の存在が歴史の進行に影響を与える範囲も小さくなります。
動乱期であるほどカリスマの影響は大きい
逆にシステムが確立されていない、古い時代であればあるほど、あるいは戦国時のように動乱期であればあるほど、1人のカリスマが時勢の推移に非常に大きく関与してくる。1人の「英雄」の果たす役割が大きくなり、歴史の行方に影響を与えるわけです。
そうした時代であれば、歴史上の人物の寿命は、非常に大きな意味がある。例えば動乱期におけるある個人が、若死にしたり、あるいは妙に長命だったことで、歴史が変わっていたかもしれない。
貴族はどうでしょう。
前近代の日本で、三大疾病とされたのは結核と脚気と糖尿病。糖尿病は生活習慣病ですから、これは対策が立てられる。当時は甘いものはあまりありませんが、酒を控えたり、暴飲暴食をしないことでリスクは下がる。しかし結核はどうにもならないですし、脚気も予防は難しい。そういうことがあって、貴族がまだ20代で亡くなることはよくありました。だから誰々が亡くなったことについて、貴族たちは驚くほど淡々としていて、日記を見ても「早かった」などといった感想はめったに漏らしていません。
しかし逆に、80歳くらいまで生きている人もいます。当時、貴族は70歳になると鳩の杖が帝から下賜された。現代でいえば100歳くらいまで生きた感覚でしょうか。そうした人も何人かいますから、長生きする人はする。長命な人がいる一方で、若くして亡くなることも珍しくない。こうした状況では、政治的に意味がある人の寿命によって、大きく世の中が変わる可能性があります。
歴史上の「事件」にも同じことが言えます。成熟した時代においては1つの事件の影響は、それほど大きくはない。ある事件があったか、なかったか。あった歴史もなかった歴史も、大きな目で見ると、同じような展開に収斂していく。しかし動乱期であれば、ある事件が歴史の進行を大きく変えてしまうのかもしれない。
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