日本史の「もしも」を考えることで見えてくる本質 ありえなかった過去の想像が未来につながる

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もしもを考えることで見えてくるものがある。ある大きな事件なり出来事なりが、もし違った展開を迎えていれば、歴史はどう変わっていたのか、あるいはどう変わっていなかったのか? そうしたバリエーションを考えることによって、興味深く日本史を受け取ることができるようになるのではないか。その意味で言えば、日本史は必ずしも1つではなかったと言えるかもしれません。違う分岐を選んだ、異なる日本史があってもいい。

もしもあの人が長生きしていれば?

おそらく誰しもが最初に考える「分岐」は、「歴史的に大きな働きをした人物で、とくに若死にをしてしまった人が、長生きをしていたらどうなっていただろうか?」という「もしも」。これについて戦いを例にとって考えてみましょう。

戦争で物をいうのはやはり数。軍事においては、非戦闘員を戦場に連れ出すことが重要でした。しかし昨日まで田畑で働いていた人が戦場に連れて来られても、ふつうは命を懸けてまで戦闘したくないわけです。だから「そうした人たちをいかに戦わせるか」というところが、指揮の要点になる。

例えばなんとか1万人の軍隊を編成して戦場に連れてきたとして、その中で真剣に命を懸けて戦う戦士は、10分の1もいないだろう。そうすると残りの9000人をどうやって戦わせるのか? そうしたとき、古い時代になればなるほど、豪傑が真っ先に敵陣に攻め込むことが重要になります。

赤兎馬に乗り、雄たけびをあげながら青龍刀をふり回したり、方天画戟(ほうてんがげき)をぶん回して、敵陣に攻め込む。そうしてやる気のあるところを見せると、その後ろ姿を見てまず職業的な軍人たちが後に続き、さらにそれを見た本来は非戦闘員の農民たちが走りだす。

それでもなかなか命のやりとりを積極的に行うことはできないものですが、ともかくもまず戦闘意欲の高い人たちの間で勝負がつく。勝負がついて豪傑や、それに続いた戦士がケガをしたり戦死したりして戦場から退くと退却となり、総崩れになる。

その段階に至ると、人間というものの本能として、攻めるほうはみんなやる気になります。敵が崩れて、自分の身が危険にさらされないという状態になると、人はがぜんやる気になって追撃戦に突入することになります。

戦死者は、この追撃戦の段階がいちばん多い。最初にせめぎ合っている段階では、なかなか人は死なないらしい。しかし勝負がついて片方が背中を見せて逃げ出すと、原始的な本能が覚醒して相手に襲いかかって殺してしまう。

こうした古い時代の戦場では、最初に突入する少数、もしかすると個人によって、戦局が左右されることになります。

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