教科書で習う那須与一「扇の的」何とも意外な事実 舞台である「屋島の戦い」に戦らしい戦はなかった

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矢は見事、扇の要ぎわ1寸ばかりのところに命中。扇は空に舞い上がり、暫く空中にひらめいた後、海に落ちた。源平の将兵双方が、与一の腕に感嘆し、称賛する。『平家物語』の中でも有名な扇の的の場面である。

この場面の後、源平両軍は再び戦をし、激戦の中、義経は海上に弓を落としてしまうというハプニングもある。

義経が危険を顧みずに弓を拾った理由

命の危険を顧みず、弓を拾った義経を老武者たちは非難するが、義経は「この弱々しい弓を敵が拾えば、これが源氏の大将・義経の弓だとののしるであろう。それは悔しいので、命がけで海上から拾ったのだ」と言い、名誉を守ったという「弓流」の逸話も有名である。

しかし、現実には屋島の戦いは短期間かつ、戦らしい戦もないまま、終結している。『玉葉』には義経の戦況報告が記されているが、それによると2月「16日船出。17日、阿波国に到着。18日、屋島を攻め、凶党(平家)を追い落とす」とある。突然の義経軍の奇襲に動揺・驚愕した平家軍は、戦はほとんどせず、逃走したのであった。

安徳天皇の御所近くが戦場となる可能性があり、いかに義経軍が小勢とはいえ、踏みとどまり戦することができなかったのだろう。しかし、瀬戸内海の要衝・屋島を失うことは平家にとって痛手であった。

ちなみに、戦と呼ぶべきものがほとんどなかった屋島合戦で、扇の的のようなある意味、悠長な話や弓流の逸話が本当にあったかは疑問である。後世の創作の可能性が高い。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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