JR東海グループ「鉄板ナポリタン専門店」の挑戦 創業初の路面店をオープンさせた1人の社員

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「好立地というだけで集客できる時代は、コロナ前までで終わったと思っています。だからこそ、人通りが多いとは言えない場所に出店して、利益を出していくノウハウを身に付けなければ生き残っていけないと思ったんです」(内田さん)

内田さんは、石川県金沢市の和食店を経て25歳のときにJFSへ入社した。当時、JR岐阜駅構内にあった居酒屋を皮切りに、名古屋駅構内のパスタ専門店や和食店などの厨房で腕を振るった。30代で料理長となり、メニューの開発も任された。6年前にはJR京都駅のレストラン街にある店舗をリニューアルするため単身赴任も経験した。

「京都での生活が楽しすぎて、ずっとそこで暮らしたいと思っていました。それなのに、たった1年で呼び戻されました」(内田さん)

コロナ禍で売り上げ激減、全店休業

配属されたのは、2014年に名古屋駅広小路口の近くにオープンしたカフェレストラン「トラッツィオーネ」だった。開店から3年が経ち、モーニングやランチは賑わっていたものの、夜の売り上げが今ひとつ伸び悩んでいた。内田さんに課されたのは、夜の客単価を上げることだった。

当時、街では大ぶりなステーキやローストビーフが流行っていて、内田さんはそれらを参考に肉料理をメニューに採り入れた。さらに愛知県の知多半島の農家から無農薬野菜を直接仕入れるなど食材のグレードアップも行った。

「売り上げは順調に伸びていきました。もう少し時間があればよかったのですが、店の業態をセルフスタイルのカフェに変更することになったんです。フードメニューもカレーやパスタ、ピッツァなどの簡単なものになりました」(内田さん)

「とらのこ亭」の店長、内田光一さん(筆者撮影)

2019年3月、セルフスタイルのカフェ業態はそのままに、フードメニューに味噌かつやエビフライ、あんかけスパゲティ、そして鉄板ナポリタンなどのいわゆる「名古屋めし」を充実させた。内田さんは引き続き料理長として厨房に立ち続けた。

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