先生側の意識は変わるか?
――先生側の意識は変わりましたか?
いくらいいツールがあっても、教育の質は教師の質を超えないと思っています。2011年にiPadを導入した当時は、教員側の意識としては二極化していました。つまり、きちんと使いこなせたら便利と考える先生と、全然わからないという先生と。その割合は3:7でした。
ただ今は、半々くらいですね。まだ教員全員にiPadが行き渡っていないという環境面の課題もあります。また、これは広尾学園に限ったことではありませんが、知識があることが教員としての権威だと思っている先生もまだ多いですね。
先生の頭の中よりも、ウェブのほうがたくさん情報はあるのに。1点でも尖った知識なり、技能なりがあれば、知らないことがあってもまったく恥ずかしいことでも何でもないです。たとえば、私は植物生理学の研究者でしたが、目の前の花の名前を突然聞かれても「知らない」と答えます。「生物の先生」として知識の豊富さを披露することに固執していると、「知らない」ということを生徒に言わないように、全部知っておかなければということになります。かけなくてもいいところに力をかけることになる。
先生の間では、ITを使うと自分が知らないという機会が増えてしまい、生徒のほうが先生よりも知っているという事態に不安を感じる人もいるようです。ただ、そのような場面は、今後、確実に増えると思いますし、私はそれが悪いことだとは思っていません。ウェブの情報によって生徒と先生の知識がフラットになったうえで、価値あることを教えられる教員が求められるということだと思います。
――ITを用いる際の注意点は?
子どもたちに何でも考えてやってもらうというボトムアップだけでは、知らないうちに、本来、重要ではないところに力を注いでしまうことがあります。たとえば、iPadで資料を作ってみようと呼びかけると、その内容自体ではなく、色にとてもこだわったり、アニメーションに多くの時間を割く生徒が出てくるんですね。無意識のうちに、違う部分に目的を置いてしまう。
そのようにならないために、あらかじめ生徒に資料の評価基準を伝えておくのです。評価が上がるものとしては、わかりやすかったり、1次情報にアプローチできているもの。逆に評価しないものとしては、わかりにくかったり、利用している情報が2次、3次情報だった場合という場合などです。
中学・高校で情報教育をしようとすればするほど、「何のために」という目的が欠如していると、重要性の低いところに目を取られる生徒が増えてしまいます。教師は、ただきれいな図を張って、それらしい文章があればプレゼン資料は完成というわけではないことを、生徒に伝える必要があります。ただ、近視眼的になって、目の前のことだけを教えてしまう先生もいます。先生の意識改革も必要です。
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