「人文学」の世界、なぜ貧しくなってきたのか 「技術の暴走」により起きつつあること

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山折:実は以前から心配していることがあります。科学技術の発達によって、人文学や社会科学など人間について研究する分野の学問が、非常に貧しくなってきている。消滅寸前の状態になっている気がすることです。

中村:大学の人文学科をなくすと文科省が言っていると聞いて、びっくりしました。

人間のことはサルを研究すればわかるのか

山折:それは非常に極端な方向ですが、それなりの理由があるだろうと思っています。それをちょっと聞いていただきたいのですが。

ひとつはですね。たとえば、類人猿研究、サル学がものすごく発達しはじめる。そうすると一般的に、「人間のことは猿を研究すればわかる」という短絡的な理解が広まる。類人猿の研究者の方々は決してそう思っていないでしょうけど、人文学の研究者のあいだにもそういう傾向があるように思います。

中村:えっ、本当ですか? それは違うと思いますね。

中村桂子(なかむら けいこ)●JT生命誌研究館館長。東京都出身。理学博士。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。1993~2002年3月までJT生命誌研究館副館長を経て2002年4月から同館館長。

山折:もうひとつは、それと同じ現象ですが、たとえばロボット工学が発達すると、人工心臓から、最終的には人工知能まで作ることができる。それによって人間本来の存在とは何かという問題への関心が薄れてくる。3番目に、生命科学が発達して、ついに精子と卵子を製作できるようになった。

中村: iPS細胞などを使ってですね。

山折:それは最終的に生命をつくることにつながるかもしれない。そうすると生命科学の研究によって、人間の本質をある程度突き止めることができるという感覚が、一般の人のあいだにだんだん広がってくる。するとますます人間に対する関心が希薄になっていく。

「人間とは何か」という問題を考え続けてきた哲学とか歴史学とか宗教学には、千年、二千年の歴史があるわけですが、その有効性というか社会的な優位性がだんだん認められなくなってきている。これが根本的な危機だと私は思っています。そういう危機的な状況が出てきたときに文理統合という話が出てくるわけですよ。

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