中村:実態を踏まえて考えられるのは科学者自身ですから、おっしゃる通りです。精子や卵子は人工的につくれる時代ですが、哺乳類はお母さんのお腹の中でなければ育ちません。そこで赤ちゃんとお母さんをつなぐのが胎盤です。
魚などでは、受精卵全部が体になりますが、人間の場合は胞胚という軟式テニスボールのように真ん中が空洞の球ができて、その中に入った細胞が体になり、外側は胎盤になります。
ところが、iPS細胞は胎盤をつくれないのです。これが興味深いと思いますね。しかもこの胎盤づくりには、精子の遺伝子が不可欠です。このあたりが自然の妙だと思うのです。
山折:聖書の世界ですな、これは。
中村:本当に自然は不思議なことをしますね。胎児は胎盤を通してお母さんから養分をもらい、自分の老廃物をお母さんに返して、処理してもらう。このやりとりがなかったら赤ちゃんは育たない。その胎盤がお父さんの遺伝子でしかできないということは、なにかを教えてくれていると思います。
このような妙を知ると、いくら技術が進んでも、すべてが人間の思い通りになるわけではないと感じます。胎盤の話も最近わかったことです。
「役に立つ」とはどういう意味か
山折:そういう先生のお考えとか体験、実践を、これからの若い理系の学生たちに教えたいですね。
中村:そうですね。今のグローバル社会は効率や経済がすべてだという価値観が席巻しています。私は江上不二夫先生に育てられましたから、細々ながら、江上先生の理念を受け継いでやっているつもりです。でも社会全体はそうではない方向に行ってしまっているし、東京大学も京都大学も大阪大学もそうなっている。
そもそも「役に立つ」って何だろう?と思います。おカネが入り、株価が動いて、経済が活性化するのが「役に立つ」。そこに科学も貢献するということなんですよ。
そこで、政治権力というものに巻き込まれてしまう。政治家は橋や道路を造ることで力を示してきた。100億円ぐらいのおカネを動かさないと、何かやったという気にならないんですね。そうすると、「50億円あるから明日までにどう使うか企画書を書きなさい」、といった話まであるわけです。それは断るべきだと思うけれど、決して断らない。気持ちはわかります。でも、科学者の矜持としては、断るというのはありでしょ。そのうえで「私はこういうことしたいので、おカネが欲しい」と堂々と言ったらいいと思うのですが、それはできない状況です。これは科学のありようとして間違っています。政治に近くなったのは間違いです。
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