塩野:いま日本のゲーム業界には外国の方が増えている気がしますけど。
林:そうですね。幼少期に日本のゲームで遊んだ人たちが日本のゲームにあこがれて、日本で働き始めています。
塩野:林社長は子供のころからプログラミングをされていたんですか。
林:そうです、小学校5年生くらいから。いちばん初めは日本語BASIC。
電波新聞社の影さんにあこがれた
塩野:電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』買ってました? あれで学んだ人は多いでしょう。
林:僕はかなり長いこと買っていましたよ。あれでプログラミングを学んだ人は多いですよ。僕もその世代です。
塩野:『マイコンBASICマガジン』には、はみだしコーナーみたいなのがあって、そこに「影さん」という登場人物がいましたよね。あの人は編集者だったのかな。
林:僕、「影さんいますか」って電波新聞社に電話したことありますよ(笑)。
塩野:本当ですか(笑)。いいな、私も電話したかったな。それで林社長はだんだんほかの言語にも手を伸ばし始めて?
林:そうです。そこからソフトをつくるソフトウェアハウスなどでアルバイトをするようになって。
塩野:その後は個人事業としてプログラミングをやっていらしたんですか。
林:17歳から地元のソフトウェアハウスでアルバイトをし始めて、そこを出たり入ったり。大学に行こうと予備校に通ったりしましたけど結局受験せず、いろんなアルバイトをしたあとソフトの世界に戻りました。
塩野:そうですか。大学に行こうと思ったのに、行かなかったのはなぜですか。
林:そのとき家が抵当に入っていて、差し押さえられるかどうかという時期だったんですよ。大学受験どころじゃなくなって、ウヤムヤになってしまいました。
塩野:最初から社長というか、トップでやろうというお気持ちはあったんですか。
林:それは小学生のころからありました。小学生の頭では、「お金持ち=社長」じゃないですか。家が苦しかったので、いつか社長になろうと思っていました。『宮尾すすむのああ日本の社長』というテレビ番組が大好きで(笑)。日本各地の社長を紹介したあと、最後に年商が「25億円!」とバーンと出る。
塩野:起業家を育てるのに、ああいう番組は重要ですね(笑)。やっぱり「起業して社長になるのはカッコいいことだ」とメディアが子供のころから刷り込まないと。
林:あれに出てくる社長はお年寄りの方が多かったけど、いい家に住んでいて、奥さんと仲良くて、しかも会社がスーパーとか飲食店とか、イメージしやすい業種なんですよね。あれにすごく影響を受けました。あとは僕の家が喫茶店をしていたんですが、週刊誌がたくさん置いてあるでしょう。そこにあった『BIGtomorrow』(青春出版社)が僕の愛読書というかバイブルだった(笑)。
塩野:それは野心あふれる喫茶店ですねえ。昔の『BIGtomorrow』はわりと起業志向だったのに、いまは「アフィリエイトで月3万円の副収入」とか、小さい話が多くなってしまって残念です。
林:昔はよく、スーパーカーの横に成功した人が立ってて。
塩野:「これ、オレのビル」って(笑)。そんなふうに社長にあこがれて、実際に社長になったわけですね。次回はエイチームの今後の発展計画、社長として何に気をつけているか、などについてお聞きします。
(構成:長山清子、撮影:尾形文繁)
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