享年23歳の京大院生が遺した痛切なる「生きた証」 絶望的な状況、是非を問いかけるむき出しの思考

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山口さんが身体の異変を感じたのは2016年11月。 風邪をこじらせて肺炎になり、精密検査を受けたところ縦隔原発胚細胞腫瘍という希少がんが見つかった。病名をスマホで検索すると、「5年生存率40~50%」と出た。後日主治医からも同様の数字が伝えられた。

10月に19歳になったばかりでのがん宣告。12月初旬、動揺する心境をブログにつづっている。

「どうして自分なのか」

<全く理解できない。
どうして自分なのか。>
<勿論これまでは、自分の描く人生に「死」など存在していなかった。存在しえなかった。10代で死を意識しながら生活する方がおかしい。>
<この世に生を受けたものは必ず死ぬ。この自然の摂理は十分に理解していた。しかしながら、自分の人生の延長線上に「死」が存在するということには気づかなかった。>
(いずれも、2016年12月2日「無題」/ヨシナシゴトの捌け口)

それでも「死んでたまるか」と気持ちを強く持ち、入院生活に入る。「或る闘病記」はこのときに始めた。「入院生活のあれこれをユーモアを交えてつづっていこう」と、「ヨシナシゴトの捌け口」よりもくだけた調子で、病院内の様子や病状、しゃっくりが止まらなかったり髪が抜けたりといった抗がん剤の副作用などを軽いトーンで伝えていく。

<僕の身体の中にピノコがいるというのは本当です。
 僕の場合は
 縦隔原発胚細胞腫瘍
 非セミノーマ
 奇形腫・卵黄嚢種混合型
 ↑
 これですこれです!
握りこぶしより少し大きいくらいの腫瘍の中に、胚細胞から分化した様々なもの(髪の毛、脂肪、骨、歯など)が詰まってるんですよね。肺とか心臓とかの近くにそんなものがあるなんて。つくづく人間の身体って不思議だなぁと思います。>(2017年1月11日「ブラック・ジャック」/或る闘病記)

幸い抗がん剤治療の効果は順調に現れ、4カ月後には腫瘍の摘出手術を受けることができた。リハビリを経て、退院できたのは5月の終わりだ。同じ大学の付属病院だからキャンパスは近い。その日はそのまま1限目の講義に出ている。すでに2学年前期の日程が始まっていたが、入院中も可能な限り講義に出席していたから講義の内容は理解できた。

<大学を卒業する前に死ぬと思っていて、もう社会には出られないと思っていて、大学に通う意味さえ分からなくなっていたけれど、
結局前期より後期の方が成績が良かった。
今を全力で生きようと思ったんです。
患者としてではなくて、1人の人間として生きようと思ったんです。>
(2017年3月20日「手術前日」/或る闘病記)
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