享年23歳の京大院生が遺した痛切なる「生きた証」 絶望的な状況、是非を問いかけるむき出しの思考

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安心できる場ができた半月後の4月初旬、何万人が見る「或る闘病記」で思い切った投稿をする。結果的にこのブログの最終投稿記事となった。

<誰かの命を救ってみたい!!!
 と思ったことありませんか。ありますよね。なければ人間じゃないですよまじで(笑)
 (中略)
毎日のように輸血されて命をいただいている身で、調子に乗った猿みたいな出しゃばった書き方をするのもどうかなと思ったのですが、なんだかんだこういうテイストで書いた方がドキッとして伝わりやすいので、今日はこのテンションで献血のお願いに参りました。>
(2021年4月8日「祈りの献血、命の輸血」/或る闘病記)

悪ノリの文体が炎上、その真意は

「或る闘病記」の最終投稿となる「祈りの献血、命の輸血」

献血への協力を広く伝える内容だが、全編で挑発的な悪ノリの文体を貫いており、たちまち炎上する。多くの読者から注意された冒頭の2行は後日取り消し線が引かれ、全面撤回して謝罪する追記が加えられている。しかし、あえて削除せずに残している。他にも取り消し線や追記を加えた箇所はあるが、やはり初回の情報をページ上から取り下げた痕跡はない。

1週間後、noteに「権謀術策、最後の秘策」というタイトルの有料記事をアップし、あれは狙った炎上だったと弁明した。献血人口の少ない若年層に献血の必要性を強く訴えるために、読者層が被る自らのアカウントに火を付けたのだと。

この頃、生存確率1割未満と言われたハプロ移植を受け、血圧低下や、鮮血と黒い血が混じった下血など体調の急変を繰り返していた。Twitterでは「ここまでかな」「為す術ない」「天命を待つのみ」と諦観をこぼすつぶやきが増えていった。しかし、「最後の秘策」を肯定する姿勢は最後まで変えなかった。

2021年6月6日の朝、山口さんは23年と8カ月の生涯を閉じる。

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