コロナ禍の前から、働き方改革や女性活躍推進という流れのなかで「仕事と家庭の両立は女性だけではなく、男性も向き合うべき課題」として認識されるようになっていたように思います。
都市部では、通勤だけでも往復で2時間程度かかってしまうことを考えれば、働く場所と暮らす場所が一致する在宅勤務に、一部では期待が集まっていました。問題を解決する手段として、テレワークは注目されていたのです。
新型コロナウイルスの感染拡大によってテレワークの普及は加速するように思えましたが、徐々に人々は職場へ向かうようになり、緊急事態宣言下でガラガラだった電車にも今、人は戻っています。当然のことながら、実際に現場に出向かなければならない仕事があることは理解できます。ですが、約2カ月間の在宅勤務でリモートでも十分に対応できる仕事があることもわかったはず。それなのになぜ、職場へ向かってしまうのか――。
安易に「日常」を「かつて」と「これから」にわけて、出社を前提とした「古い」働き方を否定したいわけではありません。ここで考えてみたいのは、「男性が男性であるがゆえに抱える悩みや葛藤を対象とした学問」である男性学の視点から、男性にとって働き方の見直しをめぐる議論がどのような意義を持つのか、についてです。
いつまでも「深刻な事態」にならない働きすぎ問題
1980年代後半に過労死が注目されて以降、中高年男性の「働きすぎ」はつねに社会問題として関心を集めてきました。指摘しておかなければならないのは、それから30年以上の年月が経過しているにもかかわらず、状況が改善しているとはいえないことについてです。
通常、問題の解決には、現状の把握、原因の分析、対策の実施という3つのステップが必要とされます。事態が深刻に捉えられていればいるほど、解決に向けた取り組みが真剣に行われると考えられます。
以前、あるホテルの従業員向けに講演をした際に、「みなさんのホテルでお湯が出ないトラブルがあったらどうしますか」と問いかけたことがあります。すると会場が急にザワザワとし、「そのことは今、思い出したくないな」という声まで聞こえてきました。理由をたずねると、実際にそうしたトラブルが起きたばかりでした。
お湯がでない現状に対して、すぐに原因が確かめられ、復旧に向けた作業が実施されたとのことでした。そこで間髪入れず、「では社内に、働きすぎの問題があったらどうしますか」と問いかけたところ、会場は静かになってしまいました……。
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