もし、ヤマダ電機でビックカメラのポイントカードを出して、「ここにいっぱいポイントが貯まっているから買い物をさせろ」と店員さんに迫っている年配の男性がいたらどう思いますか。誰でもおかしいと思うはずです。しかし、いまだに「誰に食べさせてもらっていると思っているんだ」と家庭で妻や子どもに偉そうにする男性がいます。
あるいは、定年退職者の地域活動では、自己紹介でかつての勤め先と地位をひけらかし、マウントを取ろうとする男性は少なくありません。
「家庭のポイント」は家事や育児を担うことで、「地域のポイント」は清掃やお祭りなどに参加することで貯まります。それぞれのポイントに互換性はないので、会社で一生懸命働いているから、あるいは、働いてきたから職場以外でも威張ってもいいと考えている男性は、ヤマダ電機でビックカメラのポイントカードを出すのと同じレベルの過ちを犯していると言えます。
会社で貯めたポイントは社内、あるいは、せいぜい自分の働いている業界内でしか通用しないものです。
ちなみに、こうした勘違いは政治家、医師、弁護士、あるいは大学教員といった職業でさらにひどくなる危険性があります。自分が働いている業界の外でも「先生」と呼ばれるからです。注意する必要があるのは、範囲は広がっていたとしても、あくまで職業の領域において通用する肩書きだということです。「先生」だからといって、どのような場面でも偉そうにしていていいわけではありません。
「立派な社会人」としての自分
このような問題が生まれる背景には、「社会人」という日本語の使い方があります。学校を卒業して働き始めたばかりの頃は、「社会人としての自覚を持って」などと周囲から注意されることが少なくなかったかもしれません。
しかし、何年も働いていれば人から指摘を受けるまでもなく、社会人としてふさわしい振る舞いができるようになるものです。最初は面倒だった残業や満員電車にも違和感がなくなり、「仕事を中心とした生活」に慣れていきます。このようにして、人は「立派な社会人」になっていくのでしょう。
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