指摘しておかなければならないのは、ここで言う社会は極めて狭い範囲であり、メンバーも限られているという点です。日本語で社会人と言う場合、その社会とはほぼ企業社会と同義です。家庭や地域は含まれていません。多くの場合、新卒で企業に入社し正規雇用で働く会社員のことを、日本では社会人としてイメージしている気がします。
社会人という言葉は、会社員としてフルタイムで働いてさえいれば、あたかも自分が「社会全体」に参加しているような錯覚を与えます。しかし、「立派な社会人」は、「立派な家庭人」や「立派な地域人」ではないかもしれません。
言葉の使い方が急に変わることはないでしょうから、“勘違いおじさん”にならないためには、「社会人として自覚」を持つのではなく、むしろ「単なる会社員であるという自覚」を持つことが必要です。
どうして仕事で忙しいのに、わざわざ家庭や地域のために時間を割かなければならないのかという疑問を持つ人がいるかもしれません。家族や地域のためになるという理由もありますが、最も大きな理由は、自分のためになるからです。
定年後に必要な「キョウヨウとキョウイク」
バブル崩壊以降、「サラリーマン的な生き方の危機」が繰り返し叫ばれてきました。大企業でさえ倒産がありうる以上、会社にしがみつく生き方はもう無理だという話です。1995年の阪神淡路大震災、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、そして、今年のコロナ禍を経て、30年の間にこうした主張の説得力は増しています。
倒産や人員整理といった憂き目に遭わなかったとしても、そもそも仕事は人生の一部です。いつかは終わりがきます。定年退職した男性の間では、定年後は「キョウヨウとキョウイクが大切だ」と言われています。「今日、用がある、今日、行くところがある」を略した言葉です。
職場以外に自分の居場所を作っておかなければ、退職後にすることもなければ行くところもない日々を送ることになってしまいます。だから、自分のために家庭や地域でもポイントを貯めておく必要があるのです。
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